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やさしいひと

4月になった。
職場で、新しく採用された人、異動でこちらに来られた人を囲んで、歓迎会が開かれた。歓迎会といっても、「黙食」が基本。一番広い部屋で、会議用テーブルをつかず離れずの位置にロの字型に並べて、歓迎のケーキをみんなで食べ自己紹介をする程度の会。飲み物は自前で準備する。
コロナの前は、近場の飲食店でちょっとよさげな懐石とお酒でワイワイと歓談しながらの会食だったのが、今ではケーキを食べる時も完全黙食。え、まだ、そんなことやってるの?って思う人もいるだろうけど、うちはそういう職場だ。お酒も料理も、マスクをとって食べながらの歓談タイムもない。(もちろん、普段のランチタイムもモクモク黙食)

そんなちょっと寂しい歓迎会で、以前と変わらずやっていることがひとつある。
「他己紹介」だ。自己ではなく、他己。迎える側の職員が、「この人はこんな人ですよ」と自分以外の人を紹介する。くじ引きなので誰があたるかは事前にわからない。自分の名前をひいたら自分になるけど、そんなラッキーはそうそうない。いつもなら、歓迎会なら他己紹介あるってわかっているので、事前に「〇〇さんなら、このエピソード」「△△さんなら、この話」「□□さんなら・・・」と考えておくけど、今回はすっかり忘れていてあせった。「じゃあ、他己紹介します」と言われてからあわてて頭をフル回転させ、短時間で整理する。今回くじをひいて紹介した相手は、会話もするしエピソードにはことかかない人だったので、難なく切り抜けた(たぶん(;^_^Aちょっとしゃべりすぎたかもしれないけど)けど、あまり話したことのない人の場合はあたりさわりなく且つ印象的な話が必要で日々の観察力も問われる。いろんな面できたえられるのが他己紹介の良いところかもしれない。
 
反対に自分の紹介してもらうことは、人から見たら自分がどう映っているのかを知るいい機会なので、「え、そんなふうに思っていたの?」っていう気づきがあるし、出会ったことのない自分を見つけたような感じで嬉しいこともある。ただ、当然のことだけど、あまり負のイメージがわくことはみんな避けて褒め言葉が多いから、「盛ってるなー」なんて心の中で苦笑いってこともある。

だけど、今回私を紹介してくださった方の言葉は、とても素敵な褒め言葉なのに、私の中に苦笑いでは済ませられない疑問の欠片を落としていったのだ。

その人は会話の中で「ふくちゃん(仮名)は、やさしい人です」と何度も言ってくれた。こんなことがあって、こんな気遣いをしてくれて、こんなにやさしい人です、と。

やさしい人。
やさしいを漢字にすると、この場合は「易しい」ではなく「優しい」だろう。

普通、優しい人って紹介してもらえたら嬉しいと思う。盛っていたとしても嬉しい。紹介してくださった方は、きっと本当に「優しい」と思って言ってくださったのだと思うのだけれど、私の中では、本当にそれは「優しい」と言ってもらえるようなことだったのかと思ってしまったのだ。

「大丈夫」と声をかけてくれた。
いろんな情報を事細かに教えてくれた。
困っていると声をかけてくれた。
等々。

確かに、その人にとっては「優しい」のかもしれない。

でも、それは全部全体の業務がスムーズに進むように、声をかけただけで、あなたの心配をしていたわけではないんだ。ごめんなさい。

そう、「優しい」は人に対してあるものであって、「業務」に対してじゃないよなって思ってしまったのだ。(なんだか、自分が仕事のためだけに動く人非人のように思えてきた)

「優しい人」と言われて、高校の時、友達に「どの色が好き?」と聞かれたときのことを思い出した。あの時、私は「青」と即答した。青が大好きだった。全部を包み込むような深い深い海の青。グランブルー。「なんで?」と理由を聞かれて、青色を見ると心が落ち着くし安心する「優しい」色だからと言った。そうすると彼女は笑って「優しい人に見られたいんだね」と言った。いい人に見られたい、優しい人だって思われたいと思う心を見透かされてしまったようで、恥ずかしいかった。

「優しい人」ってどういう人なんだろう。

仕事での私は、高校生の私の思う優しい人ではないと思う。だって、一番大切なのは、その職場が常に正常に機能し、よりどころとする人たちに常に快適な場所を提供することだから。そのために、気を配るし声掛けもするけれど、それは私の職務(使命)だからだ。

そいういう「やさしい」は、私の辞書では、「優しい」とは、言わない。


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