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Forget Me Not(第2章)

これは何?
 絵を描けなくなった画家である日向理仁を中心に、湖畔で起きた失踪事件の解明を試みるお話。

第2章
 雨が降らない日、私は車に乗って近くの町へ出掛ける。時間はだいたい決まって午前10時ごろ、コーヒーとパンの簡単な朝食を済ませてからになる。ひどい寝坊グセのある新聞配達人だって、その時間までに朝刊を投函しなかったことはない。遅くなった朝には一口サイズに個包装されたチョコレートが一緒に入っている。いじらしくチャーミングなおじさんだ。コーヒーには、ウィスキーを少々(ワンフィンガー)垂らすこともあれば、垂らさないこともある。すべては朝の気分次第、そしてその日の気分はまたワンフィンガーに左右される。朝起きて、コーヒーを飲むまでのルーティーンの間に感じたことからその日1日の風向きを判断しようとするのは、ついついやってしまう私のクセだ。テレビや雑誌の占いを見ることはない。マーケティングと絡められた運勢、ラッキーアイテム。そんなものに興味はない。コーヒーを片手にカーテンと窓を開けると、突風が吹き込んできた。私はふいに腕で目を覆うと、その勢いでコーヒーを撒き散らし、カーテンを汚してしまった。白いカーテンに茶色の染みが広がっていくのを見ていた。私は当事者であり、傍観者でもあった。
−ちょうどいいじゃないか、色がくすんできたのに気付いて交換しようとしていたところなのだから。
さて、今日はおそらく・・・良き1日にすることを誓おう。自分に。


 町に着けば、まずは食糧を調達する。パン、バター、ハム、卵、野菜を少々、コーヒー、ウィスキー。これらを買い集めた頃には、抱えている紙袋はパンパンに膨れ上がり、その大きさと重さのせいで不自由を強いられることにいつも不満を感じる。自分が望んで手に入れたものが集まれば集まるほど、その総体に対する思いは喜びよりも不満が勝るとは、なんという矛盾なのだろう!こんな日常の些細な出来事にすら、矛盾は顔をのっそりと現し、その存在の扱い方を主人に問いかける。


 買い物を一通り終えるとバーに向かう。束の間の休息。ギシギシと軋む床の音が、小さく耳に入ってくる。友人と内緒話を交わす時のように。そんなしっとりとした質感。それを聞く前と聞いた後とでは、身の回りの世界がすっかり様変わりしてしまうような話。自分はそんな話を聞く資格があるのだ、選ばれた存在なのだと、心の内側で自然と高められる自尊心。階段を降りた先には濃い緑色に塗られた扉が待ち構えている。毎日丹念に磨かれているのだと想像のつく、金色の丸いドアノブをゆっくりと左に回し、内開きのドアを押して入ってゆく。レコードの針とアンプが再生する、静かなジャズの流れる空間へと移行する。外の埃っぽく騒がしい世界から、静けさを愛する人間の集う場への入場。照明は暗く、目が慣れるまでには、そこに人らしきものがいるということくらいしか見えてこない。バーカウンターの背にずらりと並ぶウィスキーやジンのビンに反射する光が妖しく、自分自身のことすべてを見透かされているような気持ちにさせられる。
「この状況で、することはひとつしかないんじゃなくて?」
強い酒は鍵だ。自分自身と本当に向き合うときには、こうしたらいい。いつも叩いたり蹴飛ばして壊そうとしている壁を優しく観察してみて、探し当てた鍵穴に鍵を差し込む。そして入場。その内側で本当の自分と対話をする。壁は壊してはならない。決して。


 この店に好んで来る常連客たちはみなこうして、一人でそれぞれの用事を済ませることに夢中になっている。静けさと精神の交わりを求めて、ひとり静かに、自分と語らう時間の大切さを知っている。そんな人たちが集まっている。(ダンスクラブにはDJと騒がしい音楽と、身体の交わりを求める人間が集まるように。)店主がそういう性質なのか、あるいはそういう客がこのバーの空間を作り上げていったのか−とにかくここはそういう場所だった。余計なものは何ひとつなく、必要なものに満たされていた。
「ラガブーリンをロックで」
 私はバーテンダーに注文する。初老のバーテンダーはグラスを磨いていた手を止めて、軽くうなずく。蜘蛛の糸でできたような、か弱い五線譜を壊さないように音を置く作曲家のように。彼の所作が生む音はすべて、この店と一体となった音楽だった。いったいどれほどの愛があれば、ここまで自然に溶け込めるのだろうか。この店のグラスで、宝石のように美しくカットされた氷とともに飲むウィスキーは格別だ。その氷は自ら発光しているのではないかと疑うほどに、その内側に神秘なものの存在を感じてしまう。そしてまた透明な無垢の美しさを伴って、こちらににじり寄ってくるのだ。


こうした静かな美を楽しむ余裕と気配がここにはある。華美ではないが、洗練された装飾のラベルから注がれる琥珀色の水。みなこれをウィスキーと呼び、さらに銘柄ごとに個別の名をつけて親しんでいる。ウィスキーは長年の熟成の重みを象徴しているかのような顔つきで、自分とは対照的な短い命の持ち主である氷と同居していることに抗議している。いや、していないか。時間の経過とともに氷は自らの美しさを投げ打ち、ウィスキーの中に溶かし込んでいく。刻々と。ウィスキーは私の身体の内側を焼くような熱を持っているが、その同じ熱で、氷の命を破壊するようなことはしないから不思議だ。彼に言葉はなくとも、何を伝えることをせずとも、彼の性質が周囲に与える事実が物語っている。氷は時間とともに、自然と固体から液体へ変化し、ウィスキーと調和の道を探っていくこととなる。氷は自己犠牲の中で、ウィスキーの強すぎる個性をなだめ、穏やかにし、攻撃性を緩めようとする。どれほど尖っているウィスキーにしろ、氷と密接に関わる過程では丸くなる他ないのだ。今日の私はこれを願ってロックの飲み方を選択したのだった。


 カラン。次第に小さくなっていく氷が、同じく透明の姿を持つグラスに当たって音を作る。その響きを空虚なものと感じなかった自分の心に、私は安堵した。この音を、空間に響く音の美しさと捉えるか、虚しさや寂しさを連想させるものとして捉えるか。私は、自分の心の持ちように感謝した。私にはまだまだやるべきことがある。これを再確認した。こんな時に飲むウィスキーは、ひときわ頭を冴えさせる。


 強い酒を迎えるには、強い自分でなければならない。長い間、時には数十年の間も孤独の時間をくぐり抜け、洗練されたものの象徴としてあるようなウィスキーを迎えるような時には。彼らは、ひとつの肉体の中にいくつもの人格を持っている人間のようなものだ。または、人間の誕生から死までの流れを。ウィスキーを口にする時、口に含んだ時、舌で転がすようにして味わう時、それを喉で味わう時、喉をくぐってゆく時、彼らはあらゆる表情を提示する。リンゴ、はちみつ、バニラ、マスカット、オレンジ、キャラメル、パン、など。海の荒々しさや森林の温かみのような空気までも感じられる。これらのような世界を、個性を、彼らはそのひとつの液体に、世界に、所有しているのだ。そしてその味わいを、飲む者の身体に刻み込んでゆく。やわらかく。一瞬の心地よい風が過ぎていく速さで。私はこうしてウィスキーを味わう時、そのウィスキーの過ごした年数分だけ、彼の持つ知己と静かな情熱とを吸収できているかのような感じを思うのだった。良いウィスキーを姿勢良く飲むことができる人間は限られている。私はどうだろうか。毎日問いかけるだけの価値がある質問じゃないか。


 すべての氷が溶けた。グラスは、その透明さをひときわ輝かせていた。ウィスキーを受け入れるのにふさわしいグラス。蒸留所の職人が注ぐ情熱と同じくらい目を見張る情熱で作られたグラス。そしてその2つの出会いを提供するバーテンダー。ここに格式が生まれる。客は選別される。自然に。私はそうして世界が上手く回っていることを知っていたし、この流れは後世に引き継ぐべき文化であり財産だと感じていた。支払いを済ませて、店を出た。


 とても良い気持ちだった。気候も良い。世界の熱源を自負する太陽は控えめで、空気はカラッと乾いている。今日は雨も降りそうにない。こんな日が、年に何度あるだろうか。思考する肉体として、こんなにも生きている喜びを自然のままに感じられる1日が。他の300と数十日には湿気た顔をしている事実を思い出したくなかった。ただ、私は同時に恐れてもいた。今日のような日が日常になったとしたら、その世界に生きる自分はいったいどこに幸せを見つけるのだろうか。−今はやめておこう。

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