コーヒーを知る:一致するということ

物を知る=物と一致する

いったい私たちがコーヒーを知るというのはどういうことなのでしょうか。

目の前にコーヒーがありますね。
地獄のように熱いコーヒーです。
タレーランに言わせれば、良いコーヒーとは

悪魔のように黒く
地獄のように熱く
天使のように純粋で
愛のように甘い
byタレーラン


ものだそうです。
そのコーヒーの味を知りたいと思うならば、当然それを口に含むことになります。
あっいえ、その前にまずは香りを嗅ぎますね。
それから、黒く熱い液体を口から喉へ、胃へ流し込む。
味覚、嗅覚、視覚、触覚、聴覚五感すべてによってそのコーヒーを分析し、解剖する。
このとき、私たちは実にコーヒーと一体化しているわけなのです。

「我々が物を知るということは、自己が物と一致するというにすぎない。
花を見たときは即ち自己が花となっているのである。」
by西田幾多郎


不愉快な一致の耐えられない軽さ

しかし、その一体化、一致がままならないときがありますね。
私なら、質の悪いコーヒーを口にしたときがそうです。

なんだかコーヒーが飲みたくなった。けれど、家には帰れず喫茶店にもどうしても行けない。
その辺で適当にコーヒーを買う。
仕方がないと腹を決めて。
絶対に美味しくない。
頭では理解している。
妥協しようという思いがあります。

だけれども、いざ口に含んで流し込んでみると・・・
身体がざわつくのを感じる。
やめろ、何をしているんだ、貴様は我々を裏切るのか。
 
いらいら、というよりは、いがいが、妙なしかし手強い反発を喰らってしまう。
ああ。いけない。
君に悪いことをした。
すまない、許しておくれ。
もうこんなことしないから。
と言って数日後、また同じことを繰り返す。

「おい、またあのコーヒーが来たぞ。
逃げる用意をしろ!」
「逃げるったってどこへ逃げるんだよ。
おれたちはここからずっと逃げることなんてできやしないんだよ。」


そうです。彼らは観念してまずいコーヒーを受け入れるほかありません。

・・・こういう日が続くこと1年。
彼らはどうしているでしょうか。

何と同化するかの選択

「やった!いつものコーヒーが来たぞ!
昔飲んでた美味しいコーヒーよりも、こっちのほうがずっといいや!」


そう、彼らは逃げられないがために運ばれてくるものに順応して生きていくしかないのです。
それは最初こそ辛くありましょうが、次第に受けれ入れる姿勢をとりはじめた。
そしてその味から喜びの感情を得られるような工夫を積み重ねた。1年の間。

自分が日々触れ、口にし、聞き、嗅ぎ、見るもの
これら五感作用が流し込んでくる情報を身体は捉えます。
良いものも、悪いものも。
そしてじっくりと時間をかけながら、次第に自分がそれらと同化していく。一致していく道を探る。

こういう考え方に則れば、我々は物を知ると同時に物と一致することになり、その物によって自己を左右されるということになります。
そして目の前に美しい花があるにしても、それを美しいと思える自己がなければ、一致する以前に通り抜けていってしまう。


美味しいコーヒーを飲んで、一致することを繰り返しましょう。
美味しいコーヒーはこちらでいただけますのでぜひ。

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