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生まれる粒子終わる量子力学:お話物理:粒子描像の終わり

前回までは,量子力学の散乱問題を扱ってきた.摂動論というシステマティックな近似計算を使えば,人間が計算できる限り,実験の求める精度まで,実験と比較できる物理量を計算できるのだった.その物理量と実験の比較から粒子間の相互作用を決められるのだ.

ではこれで物理は終わりか.この世にある全ての粒子の組み合わせを,実験の精度の限り,相互作用のリストを作れば終わりになるのだろうか.

幸か不幸か,答えは"否"だった.

これまで扱ってきた電子-陽子散乱を例に取ろう.エネルギーをあげれば,陽子のより小さいスケールの情報を拾ってくることができるのだった.つまり詳細な電子-陽子相互作用を調べるためには電子のエネルギーをどんどんあげていけばいいのだった.

するとなんと,電子でない"何か"が出てきたのだ.

イメージ的には(というか実際に)陽子の中身が引きちぎれて飛び出してきたのだ.

これの何が問題か.それは"粒子が生まれてきている"ことだ.

今まで扱ってきた量子力学では"粒子の状態"を記述してきた.

自由粒子であれ,調和振動子であれ,水素原子(の電子)であれ,散乱問題であれ,粒子の量子力学を扱う上で大前提となるものがあった.

それは確率解釈だ.ある物理量,例えば位置,エネルギー,角運動量などどんな物理量を測定するときも,確率的に分布しているという前提で話を進めてきた.

確率解釈をするためには,ある物理量のどこかに必ず"粒子をただ一つ"観測されなければならないのだ.

例えば一粒子状態を用意すれば,位置という物理量に対して必ず一つ,言うなればこの世の場所を全て探せばたった一つ,過不足なく粒子を見つけてこなければならないのだ.

電子-陽子散乱で,電子でも陽子でもない粒子が生まれてきたということは,この確率解釈が崩壊しているのだ.

ある時間まではなかった粒子が,突然生まれてきた.粒子を見出す確率"0"から,突然"1"が生まれてきたのだ.

大問題だ.確率解釈は量子力学の出発点の一つなのだ.これが崩壊してしまえば量子力学が間違っていることになる.

それとは別に,この世には(特殊)相対論と呼ばれる理論がある.

光速,光の速度一定の原理から出発するこの理論は,高速で動く古典的な物体の実験とよく一致するのだ.

特殊相対論はものすごくざっくり言うと"時間と空間は同列に扱われるべきもので,速度の違う観測者間はある種の回転で結びつく"と言う理論だ.

ある物体を北から見る人と東から見る人の,物体の運動の見え方は違うが,回転すれば全く同じに見え,したがって物理法則が同じと言える.

北から東への空間の回転と同じように.全く同じ論理で,ある速度で動く人と,別の速度で動く人がみる物理現象は時間と空間の回転で結びつく.

その回転の下でも物理法則が同じにかけなければならない.ともあれ特殊相対論の立場にたてば,時間と空間は同等に扱われなければならない.

しかし今まで扱ってきた量子力学は時間と空間を同等に扱っていない.

例えば位置固有状態,つまり確率"1"である場所にいると言う状態は(原理的に)作れるが,時間固有状態と言うものはない.

量子力学にとって位置(空間的な場所)は物理量であり,時間はただのパラメタなのだ.

古典的には特殊相対論はうまくいっている.量子力学は"確率が古典的に動く"と言う意味で古典力学と結びつく.しかし特殊相対論と量子力学は結びつかない.

今ある量子力学の問題をまとめておこう

・物理現象として粒子が生まれるのに,確率解釈としては粒子の数は保存しなければならない
・古典的には特殊相対論と呼ばれる成功した理論があるのに対し,量子力学は特殊相対論を尊重しない

いかに数学的に基盤があって,論理も通っていて,豊かな予言をもたらす理論であっても,実験に即さなければ意味がない.我々がやっているのは物理なのだ.現実を記述できなければいけない.

この文脈で,今まで扱ってきた量子力学の限界がきてしまった.粒子描像の量子力学が実験と反し,他の成功した理論と相反するようになったのだ.

ではこれで物理は終わりか.もう何も言えることはなく,世界を記述する術などないのだろうか.

幸か不幸か,また答えは"否"だ.

次回からは粒子描像の量子力学を超えた,量子力学の話を始めよう.

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