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理解者だと思い込むよりは虚勢を張る方がいくらかマシかな

専門学校の生徒さんと交流してきました。言うても、学生だったのはたかだか3年前なので社会人から見ればまだまだ直近のことではある。しかし僕や、学生さんから見れば3年は大きいのではなかろうか。これは僕の話だが、3年あれば学校に入ってから卒業までである。つまり、彼らの殆どは僕の学生時代と1秒たりとも被っていないということになる。もちろん、学校が違うのだから関係はないのだが。そうは言っても僕からすれば学生だった頃などすっかり昔のように思わずにいられない。というか、既に記憶が曖昧である。どんな気持ちで学生やっていたのか?どんな風に悩んでいたのか?上手く行かなくて、足掻いて、どうしてた?
言葉にすることは出来る。でも所詮それは言葉に過ぎないのだ。感情じゃない。生の思念じゃない。そんなもので理解した気になるなんて、烏滸がましさこの上ない。

だからまあ、上から目線で話すことにした。彼等よりちょっとだけ早くゲーム業界に入って、ちょっとだけ多くゲーム制作をしているだけのダメな先輩として、それでも少しでも役に立ちそうなことを見栄張って言うことにしたのだ。駄目な大人だが、若者ぶるよりは、理解していないのに理解者ぶるよりはいくらかマシだと思ったのだ。
「現場のクリエイターさんと話す機会が出来て嬉しいです!」とお世辞なのか本心なのか、言ってくれる学生さん。にこにこ笑顔を返す。ごめん、今君が話してるのは禄に就活も決まらなかった挙句、大した成果も挙げられず転々と小さなプロジェクトを渡り歩いているだけの落ちこぼれクリエイターなんだ。本当は偉そうに言う資格なんてありはしない。たまたま、運良く業界にしがみつけているだけの人間なんだ。


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