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受け止めきれない「実力」と、生きる意味

人生が只々虚しい。穏やかな日々を当たり前に暮らすには僕は社会に順応出来なさ過ぎると、高校生の頃には既に思い知らされていたのでクリエイター業界を目指したのですが、専門学校で思い知らされたのは自分の才能の無さでした。周りがどうこうとかでは無く、僕自身の実力なんて測ってしまえばたかが知れていたことを叩きつけられました。

思えば僕はそれまで逃げ続けていたのです。学校の狭いコミュニティは馴染めずに下らないと捨ててしまいました。勉学は上を目指すことに意味を見出せませんでした。別にそれが今後悔しているかと言われれば胸を張ってNOとは言えますけど、それはそれ。逃げてきたということには変わらないのです。挫折らしい挫折をすることも、自分の実力をきちんと理解できる機会も避けた。だからいざ直視した時に僕は心が折れる寸前まで追い込まれました。ゲームが好きということが、クリエイターの才能が何処かにあるはずだということが、根拠の無い自信だった事実。僕には結局受け止められなかったのです。
正直、今ですら怪しい。受け入れがたい「僕の実力」を認めたくないから、みっともなくしがみついているだけな気もしています。それはこんな場末でワナビー丸だしエッセイを書いていることこそが証拠でしょう。

それでも、手放せない。普通に生きていく為には、やっぱりどうしても理由が足りない。死ぬのはいっちょ前に怖いのです。だから僕は特別じゃないと分かっていても、見て見ぬ振りして夢を追わざるを得ないのです。そうでもしなければ、僕は生きていくなんて到底できはしないのです。


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