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フルプライスのゲームの意義を考える

ゲーム業界において、販売価格というのは単なるビジネス戦略やクオリティのレベルといった指標以上の意味がある。といったことはこの記事を読んでいる方には説明するまでもないかもしれない。例えば同じアクションというジャンルに属するゲームがあるとする。それが例えば1000円のゲームと8000円のゲームだとすれば、両者の間にはジャンルの違う同一価格帯のゲーム以上の差異があるだろう。前提としてゲーム開発にはお金がかかる。まして大規模なゲームを作ろうと思った場合、開発には多くの人間が年単位で関わることになり、金額は非常に高いものになるだろう。故に、金額設定というのはそのゲームの開発規模を示すものとなる。規模が大きいということはそれだけシステムが大掛かりなものとなっているということであり、それはそのままゲーム性そのものが根本的に異なるということになる。無論グラフィックやゲームのプレイ時間といった、費用対効果やクオリティ面にも影響はあるものの、概ね金額が上げる理由としてはその部分が大きいだろう。

さて、近年では開発費高騰や日本でもインディーズが浸透したこともあって年々フルプライスのゲームはその存在感が薄まっていることは否定できないだろう。これは単純な金額の問題というよりは小~中規模開発で実現できない事が減ってきていることも要因と言える。有り体に言って大規模開発でしか実現できない事が減っていると言える。ここ数年の市場を見ても、ソーシャルゲームなども含めて開発費高騰による金額の上昇はコストパフォーマンスを軸に補っている。それも質の低い水増しではなく、誇張抜きに1000時間遊べるゲームになっているものが多い。

但し、ユーザーとして同じゲームを1000時間遊ぶ人間は全体の数%にも満たないだろう。実際、僕もPCで1000時間を超えてプレイしていふゲームはAPEXくらいで、それすら既にリリースから4年も経っている今現在でである。コストパフォーマンスを求めてゲームを買う、売るというのはかなりしんどいと言っていいだろう。

だが今後特にコンシューマやPCなどでフルプライスとしての強みが薄れ続ける以上はコストパフォーマンスを求めないわけにはいかないだろう。ただ、これはあくまで僕の意見であるがコストパフォーマンスは一定の水準以上はむしろ求めないほうが良いと思う。寧ろフルプライスにはそういった「高いクオリティを担保された世界観や費用対効果」と同じくらい「ゲーム性のチャレンジ」を期待されていると思う。案外、フルプライスの強みはクオリティ面では無く、そういった遊び心を追求できる「余裕」なのかもしれない。


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