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臆病な僕が殺した愛に追悼を

社会人になったらバレンタインデーなんぞ気にならないなどと宣いやがったのはどこのどいつだ、とっちめてやる。
別にステータスとしてチョコが欲しいだとか、甘酸っぱい恋がしたいだとか、そういうことでは無くて、義理チョコが欲しいのである。誰かと付き合いで貰える何かが欲しい。人間関係をまだ続けてもらえているという実感として、こういうイベント事で何かを贈ってもらいたいという我儘が僕にはある。

とはいえ、恋愛が絡んだチョコレートというのは実に尊い響きを感じずにはいられない。手間暇をかけて、想い人のために一生懸命になるというのは簡単なことではない。
高校生の頃にNHKの朝番組で丁度バレンタインデーに絡めて比較的簡単なトリュフチョコの作り方を見て、思いついたように材料を買ってきて作ったことがある。有り体にいって暇だったんだろう。最初は普通に料理を作るくらいのつもりだったのだが、酷く手間も時間もかかった。正直、こんな面倒だとは思っていなかった。お菓子作りは大変だとは言うが、その中でもチョコはかなり上位に入るんじゃなかろうか。少なくともお手軽自作スイーツには分類できないことは確かだろう。
世の女性はこんな手間をかけているのだと思うと頭が下がる思いだった。

それでも、作る手間以上に渡す勇気を出すことが遥かに難しいということであるのだと、今なら分かる。誰かを好きだと伝えるのは余りにも無謀だ。どれほど算段を立てたところで、本当のところ結果は誰にも分からない。伝えてしまえばもう戻れない。そういう恐怖を乗り越えて、想いを伝えられる人は偉大だ。僕にはとてもじゃないけど真似できないように思う。

恋心を隠して、ビビり散らかして、苦しくて、言い訳をしている毎日の中で、ツイッターで今日がバレンタインデーだと気がついたから、余りにも自分の情けなさが後ろめたくなった。名も知らない何処かの誰かの強さに敬意を評して、取り敢えず帰ったら板チョコでも齧ろうかなと思う。

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