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妄想非化学研究書 音楽と映画を読む 誇張された非科学的現実妄想生活13

■娘に胸キュン、ゴッホと教授とおっかさん

問屋な職場では、先にお伝えしていた女性社員三名の他に、
忘れてはならぬ女性がおりまして、先輩バイトおっかさん。

会社の目と鼻の先にお住まいがあるもんで、バイトなのに
会社のカギ持たされて、朝も一番で出社してくれてまして。

丸っとした風貌にパーマでメガネ、常時エプロン姿の主婦。
おめーら仕事すっぞと口は悪いが情に厚く涙もろい良い人。

そんな肝っ玉かあさんに、入社時から仕事教えてもらって。
全く頭は上がりませんが日々お母さんと息子のやり取りで。

時を同じく社内で自作録音テープ作らない?って話になり。
打ち込み好きな先輩が新しいシーケンサー購入したらしく。

簡単に言いますと音符を機械に打ち込み、好きな電子音で
鳴らしたり、楽器で弾いたフレーズを機械に取り込んだり。

当時はまだ、一般人がディスクトップミュージックなんて
容易に出来る物では無く、こういった機材を駆使して作る。

上がリズムマシーンでドラムを小節ごとに打ち込む機械、下がシーケンサーでおま。

バンドやってるバイト君も居たし、私も簡単な機材はあり。
リズムマシンとギターやベース、マルチテープレコーダー。
使い方がよく判らんシンセとかを駆使し録音したもの提出。

こういった学生ノリな感じを先輩達とやるのが楽しかった。
まぁ私は本当に音楽理論も無いただの多重録音物でしたが。

そんなこんなでテープダビングし興味無い人にも配ったり。
そしたら意外な所からお声がかかる、そうおっかさんです。

大先輩なおっかさんは、高校生のお嬢様がいらっしゃって。
そのお嬢様から私の録音物をカッコいいと言ってたらしい。

前述のドジっ娘さんからBUCK-TICKも教示されていた様子、
私の好きな音楽とかも、おっかさんが教えてた様子でして。

そんなお嬢様から話してみたいと滅相もない伝達をもらい。
お母さま、私みたいなダメ男に大事なお嬢様の時間なんか。
と返す間もなく学校終わりの夕方に、お嬢様が会社へ来て。

焦る俺、女子高生というパワーワードと母親が先輩な現実。
まだ十代な私ではありますが、歳は幾つか上にも関わらず、
母親とその娘に圧倒され、お話も兼ねて絵画展へ行く事に。

当時、ゴッホの展覧会が上野でやっていて見に行く予定で。
一緒に観に行きたいとの事で食事がてら見に行こうとなり。

時は来まして色々とお話も弾みまして坂本龍一さん好きと。
近々ライブあるし行きますかぁなんて言いながら展覧会へ。

夕方に観終わりそのまま解散、翌日会社でおっかさんから、
なんであんなに早く帰ってきたの?私は泊りかと思ったと。

えっ?何を言ってるんすか!お嬢様は高校生ですよねっ??
母親の公認過ぎる物言いに、流石の私も唖然として震える。

ってか、会社の先輩を「お母さん!」と言う羽目になるやん!
ってか、高校生な女性にすら何も出来ない十代だった私でした。

貴女の心までは盗めませんでしたな、ハッ

■Heartbeat/坂本龍一

初めて行った教授のライブが、1992年のHeartbeat Tourで武道館。

同時期デヴィッド・ボウイのバンド、ティン・マシーンも来日中。
どちらかのライブで、リアル戦メリ的な邂逅があるかと期待して。
しかしその予想は、斜め上を行きデヴィッド・シルヴィアン召喚。

禁じられた色彩なほうで戦メリしてくれんのか!と思いつつ歓喜。
あぁ教授、シルヴィアン様を召喚してくれて有難う言いつつ歓喜。
まぁ確かにバンドでオチャらけてた?当時のボウイ様を召喚せず、
Heartbeatのアルバム曲で久々に競演をしたシルヴィアンですよね。

前作のビューティからヴァージンレーベルに移り、お洒落な作品。
当時まだまだ子供だった私にカッコいい大人の音楽を知らしめて。

YMOだったり戦メリだったり、意識してなくても見聴きしてた教授。
千のナイフや音楽図鑑、NEO GEOやらビューティだったりを聴いて。
特に90年代は、gütレーベルを教授が立ち上げて精力的に活動してて。
中谷美紀さんとかプロデュースした曲なんかも繰り返し聴いてました。

給料で初めての教授はこのHeartbeat Tourだったので思い出多し。
教授とシルヴィアンとボウイが同時期に日本にいたと思うと凄い。

戦メリの曲に合わせて歌うシルヴィアン、まさに禁じられた色彩

■YMO復活とディスクトップミュージック 宅録の憂鬱

90年代に入った直後よりアンビエントテクノなるジャンルが増え始め。
音楽を取り巻く機材的な物が良くなりつつある時代でもあったからか。
そこで「YMO待望論」なるムーブがきて、アルファレコードから色々。

過去アルバムの再発やら未発表ライブ音源、そしてのBOXセットの発売。
騒がしくなったのが1992年頃で、教授のHeartbeatが1991年だった訳で。

Heartbeatがハウス寄りな感じで、若手テクノ・ハウスムーブメントが
押し寄せてもいたので、これは再結成されるんじゃないかと期待して。
何だかんだでやってきた1993年に再結成でCD出して東京ドーム2日間!

音楽家としては既に大御所なお三方が、東京ドーム2日も埋めてて壮観、
ヨウジヤマモトの衣装も含め非常にカッコよく感動したのを覚えてます。

80年代後半からd’urbanやらONWARDやらアパレル系プレゼンツ多かったよね

まだ世の中バンドブームにデジロックもあり、オルナタ系UKバンドとか
勢力を強めつつある中で、これでもくらえ的に電子音を打ち込まれてて。

仲間を集めてスタジオ入ったり、遊びでバンドみたいな事やってたけど、
自宅の機材でなんちゃって宅録とかして弾けもしない楽器で多重録音し。
楽器が弾ける訳でもないので当時の電子ツール買っても使いこなせずで。

その後、自宅PC購入しミュージ郎で打ち込みやるまでまだ数年待つけど。
ディスクトップミュージックだと、音符判らなくても数値を何となくで。
だから「今は素人でも音楽出来るからねぇ」って教授が言ってたような。

たしかに会社でテープ作った時「高校生騙す音楽」と言われたもんなぁ。


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