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宇津保物語を読む9 内侍のかみ#14


仲忠、馬車の用意をさせ、母と共に参内

 中将、(仲忠)「今日の相撲(すまひ)の、いと口(くち)惜(を)しく、こなたの勝ちたまはずなりぬるに、仲忠が身には喜びあり、殿の御ためには喜びなむなき。さるはただ一(ひと)番になむ負けたまひぬる。ただ今こそいと面白しや。せめて面白きを見たまふれば、よにかひなきになむ、御迎へに参り来つる。饗(あるじ)の垣(ゑ)下(が)の設けに参りたる人々、この御供に。仲忠馬にて候(さぶら)はむ」とて、
(仲忠)「ただかの父おとどの檳(び)榔(りやう)毛(げ)の御車に、副車(ひとだまひ)三つして参りたまはむ」とて、
宰相、御(み)厩(まや)の別(べ)当(とう)右の馬(むまの)助(すけ)に、
(仲忠)「その御厩の御馬の中に、仲忠乗るとも咎(とが)なかるべき御馬、移し置かせて賜へ」。
馬の権(ごんの)助(すけ)国(くに)時(とき)聞こゆ、
(国時)「いはゆる龍(りう)の駒(こま)といふとも、奉らむには咎やなからむ。御厩ながらも」。
中将、(仲忠)「みづからだに野飼ひに放たれたる身を、まして乗物は。御厩の雑(ざふ)役(やく)をせむとも思はむ」。
国時、「駒(こま)牽(ひき)も近くなりぬれば、野飼ひも数に入りたまふ時やあらむ」。
中将、(仲忠)「それに数あまる時こそ」。
国(くに)時(とき)、「藤壺の御方をや今は下(お)ろしたまはぬ」。
仲忠、「あな似げなの方(かた)の人々の待つまや。まめやかには、その御(ご)前(ぜん)仕うまつらむ馬、装束きたまへや」。
(国時)「例の、君の好きさかしたまふなりけり」。
国時、
  いまさへやすきて見ゆらむ夏衣
  脱ぎも替ふべき秋の暮れには
風のうち吹くほどに、中将立つとて、
 (仲忠)秋の夜の涼しきほどに立つ時は
  替ふる衣もなほぞすきける
などいひて、国時、「まめやかには、御鞍(おそひ)はいづれをか奉らむ」。
中将、(仲忠)「移しを置きて賜へ。何せむにか。無(む)礼(らい)なり」。
国時、「異(こと)男(をのこ)ども、移しはべらぬ者あるを、さて奉らむは、にはかに男(をのこ)どもわづらひはべりなむ」。
中将、(仲忠)「人はなほ例の御(みほみ)鞍(おそひ)奉れ。仲忠なほ身の数ならず、世の心にもかなはねば、なほかしこまりをだにこそあれ。人はなほ例の御(ご)前(ぜ)を」といふ。
 国時、御(み)厩(まや)に三十余匹立てる御馬の中に、吹上の浜にて得たまへりし鶴(つる)斑(ぶち)にまさる御馬なし。それに移し置きて、中将のために引き出でなどしてあるに、北の方、洗(す)ましたる御髪(ぐし)の干(ひ)たるをかい梳(けづ)り、花(け)文(ふ)綾(れう)の地(ぢ)摺(ず)りの御裳に呉(ご)綾(ろう)重ねて、涼しきほどなれば、綾の搔(かい)練(ねり)一襲(かさね)、赤色に二(ふた)藍(あい)襲(がさね)の唐(から)衣(ぎぬ)いとめでたき奉りて、なでふめづらかなるわざもせず、かくばかりにて、大人六人、童四人、下仕へ二人して出で立ちて、御(み)簾(す)のもとについ居たまへるを、庭に手(た)火(び)灯(と)して候ふ松明(たいまつ)の光に、中将見るに、ましてさらなり。御髪(ぐし)のほど丈(たけ)に二尺ばかり余りて、少し小まろがれする髪をかき洗ひたる、すなはち一(ひと)背中こぼるるまであり。さらに一筋散りたるもなし。姿のうつくしげなること、さらにいとめでたし。丈立ちよきほどに、姿の清らなること、さらに並びなし。顔かたちさらにもいはず。仲忠これを見るままに、藤壺を思ひ出でて、この北の方をさらに親と思ひ忘れて、いづくなりし天女ぞ、と思ひ居たり。
北の方、「さらば車寄せさせたまへ」。
中将、(仲忠)「ただ今おとどの見たまはぬこそいと口惜しけれ」とて、
(仲忠)「御車寄せよ」とて、
手づから御几(き)帳(ちよう)さして、後(しり)に大人二人、副車(ひとだまひ)に次々人乗りて出で立ちたまふ。中将移しに乗りて、車の轅(ながえ)近く添ひて立つ。この殿の饗(あるじ)の設けしに参れる四位、五位、六位など、合はせて八十人ばかりして参りたまふ。
 かくて、縫(ぬひ)殿(どの)の陣に車引き立てて、中将、「しばし」とて内へ参る。御前駆(さき)の人、内に参る。
(仲忠)「人々は御車のもとに候ひたまへ。仲忠は一人参りなむ」とて入る。
 〔絵指示〕御供に、前に手(た)火(び)灯(とも)して、御前駆(さき)数知らず多かり。

(小学館新編日本古典文学全集)

 仲忠中将は「今日の相撲は残念なことに右方は勝てませんでした。左方の私にとっては嬉しいことですが、右方の父上はさぞ悔しいことでしょう。それも最後の一番で負けてしまいましたから。
しかし今頃宮中では盛大に祝勝会が行われていることでしょう。ひとりでこんな面白いものを見ていましても何の甲斐もありませんので、母上と一緒にと、お迎えに参ったのです。右方の祝宴準備のために参った人々も母のお供としてぜひ見に行きましょう。私は馬でお供します」
といって、
「すぐに父の檳榔毛の車にお供の車三台を添えて準備するように」
といい、さらに仲忠は厩の別当右の馬助に
「厩の馬の中で私が乗っても構わない馬に「移し鞍(=公用に用いる鞍)」を置いて用意してください」
という。
馬の権の助国時が申し上げる
「たとえ竜馬であったとしても、あなたがお乗りになるのに支障のある馬なんてありません。どんな高価な馬でもお使いください」
仲忠「私自身が野飼の馬のようなものだから、乗る馬なんて何だって構わないのだよ。なんなら厩の雑用係の馬でもいいよ」
国時「駒牽きの行事が近いので、野飼の馬も駆り出されるでしょうね」
仲忠「馬の数が多すぎたらどうするのさ」
国時「その時は藤壺の馬をその数から外しましょうか」
仲忠「その馬に似つかわしくない方が下げ渡されるのを狙っているだろうね。
冗談はそれくらいにして、実はその藤壺の御前駆けに使うための馬の準備をしてほしいのさ」
国時「いつものように、藤壺様相手に好色心を発揮なさるおつもりですね」

 (国時)初夏を迎えて、夏衣も薄くすきて(=透けて)見えているようです。
  秋になれば着替えなくてはなりませんね。
(すき(=好色心)も夏の間だけですよ。秋になればおしまいですからね)

風がそっと吹く中に仲忠の中将は立ち

 (仲忠)秋の夜の涼しい風の中に立つときは
  着替えた衣も、いっそうすき(=透け)て見えるのだ
(秋になったって、風流なときにはすき(=好色心)が起こるのは止められないよ)

などと歌う。
国時「まじめな話、鞍はどれにいたしましょう」
仲忠「やはり移し鞍を置いてください。それ以外では無礼にあたりますから」
国時「ほかのお供の者たちは、移し鞍などという正装の鞍を準備できない者もいるのに、あなた様が移し鞍などを置いてはお供の者たちは困ったことになりましょう」
仲忠「ではほかの者たちはいつもの鞍を用意してください。私はものの数にも入らない身で世間の期待にも添えないので、鞍ぐらいはきちんとしたものにして慎んでおきたいのです。人々にはいつもの御前駆けの用意をしてください」

 厩の馬30頭ほどの中では、吹上の浜で手に入れた鶴ブチの馬に優るものはいない。国時はその馬に移し鞍を置いて仲忠のために引き出して準備をする。
 北の方は洗った髪を乾かして櫛でとかし、花文綾の地摺りの裳に呉綾を重ね、涼しい季節なので、綾の掻い練り一襲、赤色に二藍襲の唐衣のすばらしいものをお召しになり、特に飾ることなく、それだけのお召し物で、年配の女房6人、女童4人、下仕え2人をつれてお出ましになる。御簾の近くに座っていらっしゃるその姿を、仲忠は庭から松明の明かりでご覧になると、いいようもなく美しい。
髪の長さは背丈に二尺ほどあまり。少し癖のついた髪も洗ったおかげで、背中いっぱいに広がり、一筋の乱れもない。
姿の美しさは比類無く、顔立ちも申し分ない。
仲忠はこれを見て、ふと藤壺の美しさを思い出した。北の方が母だということも忘れ、(どこから舞い降りた天女であろうか)と思っている。
北の方「それでは車を寄せてください」
仲忠は「父がこの美しい姿をご覧にならないことが残念だ」と思いながら
「車を寄せよ」と命じ、ご自身の手で母の姿を几帳で隠しながら車に乗せ、後から年配の女房二人を同乗させ、副車に人々を乗せて出発させる。仲忠は移し鞍の馬に乗って牛車の轅の近くに立つ。右大将の祝宴準備のために集まった四位五位六位などの君達合わせて80人ほどが連れ立って参内する。

 こうして、御所に着くと縫殿の陣に車を着け、
仲忠は「しばらく待て」といって中に入っていく。
先駆けの者も一緒に入ろうとしたが、
「みなさんは車の中でお待ちください。私ひとりで参ります」
といいながら仲忠は入っていった。


前段に引き続き、母北の方の濡れた髪の描写が美しい。
仲忠は母の美しさを見て、恋する藤壺を思い出す。

母は帝の前でいかように振る舞うのであろうか。そしてそれはどのような結果をもたらすのか。

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