見出し画像

宇津保物語を読む9 内侍のかみ#13


仲忠、母に相撲のことを語り、御前に誘う

 かくて、宰相の中将、三条殿にまかでて入る。北の方、御など引き着て、その日ぐしまし、はしに出でしゐたまへる折に、仲忠簣子すのこについ居る。
北の方、(俊蔭娘)「いかが。相撲すまひはいづ方か勝ちぬる」。
仲忠、「左なむ勝ちぬる」。
北の方、(俊蔭娘)「いとさうざうしきことかな。もしこなたや勝ちたまふとて、人々参り集まりて候ふめるものを。いと口惜しきことかな」。
仲忠、「いとつらくものたまはするものかな。仲忠侍る方の勝つこそ嬉しけれ。思ほしこそ落としたれ」。
北の方うち笑ひて、(俊蔭娘)「それはた嬉しくて。ここに心設けなどしたるに、さらねばさうざうしくなむ」。
仲忠、「左近引きて、大将よりはじめて参らむかし。わいても、西や東にやあらむ。まことに、ただ今の内裏うちの面白さこそものに似ね。こなたはたなほ少し心殊なる御気色ありつかし。それもあなたは例もしたまふこと、はた筋殊なればにやあらむ、左の勝ちたまひて、ただ今興あることこそ限りなけれ。世に名高き舞の師、ものの師といふ者の限り集ひて、よろづの遊びをしたまうつるを見たまへるに、仲忠一人見たまへつるかひなさになむ、御迎へに参り来つる」。
北の方、(俊蔭娘)「いかでかまへのことをば見む」。
(仲忠)「それをこそは、仲忠はよく御覧ぜさせたてまつらめ。天下に西方浄土の遊びも、かくぞあらむ。御覧ぜむとあらば、御覧ぜさせたてまつりてむ。はやはや出でたまへ」。
北の方、(俊蔭娘)「すずろなりともこそ思へ。またかしこに思ほす、いかがはあらむ」。
中将、(仲忠)「まさに、さあらむことをば聞こえてむや。さるべくもあらず。早う」と聞こゆ。
北の方、(俊蔭娘)「すずろにはと思へど、語りたまふを聞けば見まほし」。
中将、(仲忠)「などてか、仲忠は人のすずろなりと思はむことは聞こゆべき。口惜しくとも、などてかさばかりのことを見たまへ知らざらむ。なほはや、少しよしあらむ御奉り、見どころあらむ御かたち見出でて、いざさせたまへ」。
北の方、(俊蔭娘)「きぬはせちに求めばさもやあらむ。かたちはいづくよりかはうづべき。納めたるところも覚えぬは」。
(仲忠)「それをこそは、いとよくさせたまふ時あれ。よし見たまへかし」などいひ居たり。
北の方、(俊蔭娘)「さはものせむかし。うしろめたきことをのたまはむやは」とて、ぐしのなましめりたる、急ぎしたまふ。

 こうして、宰相の中将仲忠は母北の方のいる三条殿に戻った。
 北の方は衣を引き掛けたまま髪を洗い、端近くで乾かしていた。そこに仲忠が来訪する。
北の方「どうでしたか。相撲はどちらが勝ちましたか。」
仲忠「左の勝ちです。」
北の方「それは張り合いがないこと。もしや右が勝つのではかいかと、人々が集まっておりましたのに。残念だわ。」
仲忠「ひどいことをおっしゃる。私の方が勝ったが嬉しいんですよ。母上にとっては父上の方が大事なのですね。」
北の方は微笑まれ、
「それはそれで嬉しいですけどね。準備していた料理が無駄になるのがもったいないと思ったのよ。」
仲忠「ならば左近衛府たちを引き連れて大将共々参りましょう。分けても、東も西も分からないほどの大騒ぎになるでしょう。
しかし、今日の宮中で行われた相撲の面白さは何ものにも劣らぬすばらしいものでしたよ。こちらの右方は少しは準備をしていたようですが、左方はいつものように最善を尽くしていましたから結局左の勝利で終わり、今はその祝宴の真っ盛りです。高名な舞の師や楽の師たちが集まり様々な舞楽がなされているのを見ていましたら、私ひとりで見ているのはもったいないと思い、お迎えに参った次第です。」
北の方「宮中のことを見るなんて、滅相もない。」
仲忠「ぜひ母上に見てもらいたいのです。西方浄土の演奏もかくあらむと思われるほどの素晴らしさです。ご希望ならばご覧に入れますよ。さあ、出かけましょう。」
北の方「軽率だと思われたら困ります。父上もどうお思いになるか。」
仲忠「どうして父が反対するようなことを私が申すでしょうか。そんなことはありませんよ。さあ出かけましょう。」
北の方「軽率なことですが、それほど言うなら見たい気もしますね。」
仲忠「どうして私が人から軽率だなどと思われるようなことを申すでしょうか。いくらなんでもその程度の分別は持っていますよ。さあさあ、美しいお召し物に着替え、お顔も綺麗なものに取り替えて出かけましょう。」
北の方「着物は探せば見つかるでしょうが、顔は取り繕いようはないわ。どこかにしまってあるわけでもないし。」
仲忠「でも、すごく綺麗なときだってありますよ。しっかり探してみてください。」
などと冗談を言う。
北の方「ではそうしましょうか。不安なことをあなたが言うはずないものね。」
などとおっしゃり、生乾きの髪を急ぎ乾かして準備をする。


髪を洗う女性の姿は官能的

母北の方はちょうど洗髪が終わったばかりであった。当時髪を洗うとしばらくはどうすることもできない、もっとも無防備な状態である。
右方の祝勝会の準備をしていたようであるので、その前の身だしなみの途中であったか。
 しかし、濡れた髪を乾かしている姿が官能的だと感じるのは私だけだろうか?

宇津保物語では以前このようなシーンがあった。


 こうして、7月7日となった。賀茂川で御髪ましを行おうと、大宮をはじめ小君たちまでお出ましになる。賀茂の川岸に桟敷をしつらえて、男君たちもいらっしゃる。
その日、七夕の節供も賀茂川の河原で執り行う。
姫君たちは御髪を洗い終え、琴を演奏し七夕に奉納なさるときに、東宮より大宮のもとにこのような歌が贈られる。~~

正頼の娘たちが賀茂川で髪を洗うシーンである。節供のための禊ぎであろうが、男君たちも同席しているという点が面白い。

入浴のシーンが物語の中で描かれているのを知らない。もっとも当時はサウナのようなものであったらしいが、もしも当時、入浴シーンを描くことがためらわれていたのならば、洗髪シーンは現代の入浴に匹敵するインパクトがあったのではないだろうか、

と勝手に想像してみた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?