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宇津保物語を読む9 内侍のかみ#17
見出し仲忠の母、ようやく琴を弾く 人々賞賛
北の方、おぼろけなう聞こえたまへば、からうして、いとはかなき小調ども、いとほのかにかき鳴らしたまふ。
上、(朱雀)「なほなほ。かくおぼつかなく承れば、ましてこそ心憂けれ。少し聞きどころあらむ手を、一つ二つ遊ばせ」などのたまふ。
少し面白き手など遊ばすに、この御琴、むかしのなん風の族の琴なれば、殊にかれらに劣らず、いとせちにあはれなること添へる御琴にて、北の方、心にも入れずかき鳴らしたまへど、さる上手の、天下の手どもを逸物にしつきたまへる人の、さるは殊に秋の夜の更けゆき、宴の松原の、仁寿殿にあり、ありけむ風に調べ合はせて弾くに、あはれに面白きことものに似ず。
北の方、かう遊ばすこと、むかし大将のおとどに対面したまふ山に住みたまひし時、弾きたまひけるままに、その後さらに住みたまひける世に手触れたまはず。この大将のおとどにも、さらにこの琴弾きて見せたてまつりたまはず。宰相の中将は、時々紀伊国などにても仕うまつられけれど、この北の方は、さらに里に出でたまひて後、琴に手触れたまはずあるに、かくわりなく聞こえたまへば、仕まつりたまふ。なほ年ごろ騒がしくなどして、まれにこそ思ひ出でたまへ、忘れものしたまふを、この琴に手触れたまふにつけて、よろづむかしのこと思ほえたまひて、あはれなること限りなし。親の御手より弾き取りし、中将にかの山にて習はせしこと、またこの里に出でむとて弾きしなん風の声など、よろづにあはれなりし古事を湧くごと覚えて、世間もののあはれに悲しく覚ゆれば、やうやう心ある手ども弾きかかりて、あはれに覚えて遊ばす時に、みな人、上中下、楽人どもも、楽屋の遊びの人も、遊びやみて、ただこれを聞き愛でて、
人々「あやし。この参りつる人は誰ならむ。ただ今の世に、盛りのよしといはるる中にも、かくばかりの琴弾くべき人の思ほえぬかな。誰ならむ」と、みな人驚きつつ、
人々「仲忠の中将こそ、かくばかりの声は出ださめ」。
「それ、はたかくてあり」。
「あやしくもあるかな」。
「藤壺、はた参上りたまはず」。
みな人あやしがりつつ、
人々「なほこの大将殿にやあらむ」と、
人思ほし寄る気色を、大将の君、驚きたまふ気色を見て、中将、せめて知らず顔を作りて、
仲忠「あやしく興ある御琴にもあるかな。誰が遊ばすにかあらむ」と、
いといたうあはれがりおぼつかながり居たまへり。右大将殿の参りたまはむを、仲忠知らざらむやは。誰が参りたるならむ、と人々思ひ、大将のおとどもさ思ほしてあるに、夜は更けまさり、ことも出で来まさるままに、胡笳の手どもの興あるを遊ばし出だしつつ、わざと面白くなりゆく時に、この北の方に、上せめて御心とどまる。むかしより聞こしめしかけたるうちにも、まさりてあはれと思ほしまさること限りなし。さて仰せらるる、
(朱雀)「文の手どもの中に、心ざしあらむ手ども出で来む折には、涼、仲忠は詩誦し申し、仲頼、行政は今めきたらむ唱歌仕まつれ」など仰せらる。
訳
帝が熱心にお勧めするので、北の方はしかたなく小曲をそっと奏でる。
帝「もっと、もっと。このようにさわりだけ聞かされてはいっそうもどかしくなるばかりだ。もうすこし聞き応えのある曲を1、2曲奏でよ」
などとおっしゃるので、しかたなく少し風情のある曲を弾く。
この「せいひん」という琴はあの「なん風」と同類の琴なので、まさにそれらの秘琴に劣らず、すばらしい音色を発する。北の方は何気なく鳴らしただけであったが、琴の名手である俊蔭からその技法のすべてを秘琴によって修得した北の方の演奏である。遠く宴の松原から吹く風情ある秋の夜更けのの松風に、仁寿殿から調子を合わせて奏でる音色は、しみじみと興深いことこの上ない。
北の方が琴を奏でることは、北山の山奥で暮らしてたとき以来である。その後右大将と暮らすようになってからは決して手を触れることはなく、右大将に演奏を聞かせることもなかった。仲忠は紀伊国で奏でたりと時々は演奏することもあったが、この北の方は、都に戻ってから琴に手を触れることはなかった。しかし帝の熱心なお勧によって今宵ついに奏でることとなる。
都に戻り、忙しい日々の暮らしの中で、琴のことはもうすっかり忘れたはずだったのに、こうして琴に手を触れ、つま弾く音の一つ一つに、忘れたはずの過去が浮かび上がり、心が「あはれ」で満たされてゆく。
父俊蔭から習ったこと、仲忠に山で教えたこと、危機が迫り山から逃れるときに奏でた「なん風」の音色など。幸せや喜び、悲しみや哀れ、さまざまな思いが去来し、その思いが指先にこもり、しだいに演奏の「あはれ」もましてゆく。
それを聞くすべての人々、身分の上下なく楽人たちや楽屋の舞人たちまでも手を休め、仁寿殿から流れてくる琴の音色に聞き入り賞賛する。
「不思議だ。今夜参内した人は誰なのだろう。当代の琴の名手と言われる人の中でも、これほどの琴を奏でられる人は思い至らない。誰なのだ」
と、みな驚く。
「仲忠の中将じゃないのか?」
「いや彼ならここにいるぞ」
「おかしいな」
「藤壺(あて宮)様かとも思ったが、まだいらしてないようだ」
などと不審がるなかで
「やはり右大将殿の北の方であろうか」
という声に右大将は驚く。
そんな右大将を横目に、仲忠は素知らぬふりをして
「不思議にも興ある琴でございますね。どなたが演奏しているのでしょう」
と賞賛しつつも知らないふりをする。
右大将の北の方ならば、仲忠が知らないはずがない。ならばいったい誰なのだと人々は思い、右大将もそのように思ううちに夜は更ける。琴は興が乗るままに胡笳の調べを奏で、ますます凄みが増してゆく。
この北の方の演奏に帝はますます心を奪われる。
昔からうわさに聞いて思いをかけていたが、思いが果たされ感極まって
「曲中の趣のある歌詞にはそれに合わせて涼と仲忠は詩を誦し、仲頼、行政は今めく唱歌を歌え」
などとお命じになる。
原文には「あはれ」という言葉が頻出するが、「情趣」などという語ではとうてい訳しきれない。
琴に手を触れた北の方の心に生じた「あはれ」こそが芸術の源泉であろうか。
音楽における精神性。
「やまと歌は、人の心を種として、よろづの言の葉とぞなれりける。」
とは古今集仮名序の言葉であるが、音楽もまた人の心の発現である。
望郷の思いを胸に秘めながらも琴に対する飽くなき探究心で冒険する俊蔭。
一途に母を思い、母を守ろうと奮闘する仲忠。
人々から忘れ去られ、孤独の中で子を産み育て、人界から隔絶された北山で「自然」と向き合う俊蔭の娘(北の方)
琴に対する精神性は三者三様である。
しかしもっとも人の心の「あはれ」を育てたのは北の方ではないだろうか。
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