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宇津保物語を読む9 内侍のかみ#12


帝、仲忠と賭け碁をして、仲忠の母を召す(後半)

仲忠、さらにえ仕うまつるまじきよしを奏し、この心の詩(うた)を作りて御覧ぜさせなどするに、
帝、わりなくいふものかな。これにつひに負けぬることのねたさ、など思ほして、
これならぬことは何ごとをかはいはむ、と思すに、
仲忠の母に、年ごろいかでかと御心に思しわたり、むかしより聞こしめしかけて、いかでとのみ思ほしけれど、よにも聞こえざりければ、くちをしく思ほしけることの、かく今世の中にありと聞こえ、ただ今の労(らう)者(ざ)、かたち人の二、三の者のうちに入るを、これがついでにのたまひ寄らむと思して、
(朱雀)「さらば、朝臣は絶えて仕うまつらじとや。かくみづからはえものすまじかなるを、少し朝臣の手に思ほえたる、弾く人はありなむや」。
仲忠、「この族(ざう)の手は、松(まつ)方(かた)のみなむ仕うまつらむ。この一つ筋になむ侍る」。
上、(朱雀)「それは時々聞く。今少しめづらしからむをこそ」と仰せらる。
仲忠、「一つ族の手は、松方を放ちて仕うまつる人侍らず」。
上、(朱雀)「なほ思ひ出でられよや。さてなしや」。
仲忠、「おぼえず侍り」。
上、(朱雀)「女の中に思ひ出でよや。誰ありなむ」。
仲忠、「思ほえずなむ侍る」
など、のたまふ気色あれば、わづらはしう思ひながら、
(仲忠)「仲忠、内(ない)戚(しやく)にも外(げ)戚(しやく)にも、女といふ者なむ乏(とも)しく侍る。そが中にも、母方なるは、さらに松方を放ちて、心早き方侍らずなむ。琴(きん)はもし母方の外戚こそ、かの俊(とし)蔭(かげ)の朝臣の琴は仕うまつらめ。それを、さるべき筋のさらに侍らねばにやあらむ」と奏す。
朱雀「よし、それはさもあらむ。やむごとなき朝臣として、移し伝へたる人なしや。絶えてなしと申さじばかりにはありもしなむ。それをこそは、今宵のものには出だされめ。それは早く。これをさへ聞かずは心憂からむ」と仰せらる。
仲忠、「移し取りて伝へはべりし仲忠だに、絶えてその筋覚えずはベるを、まして元(もと)の師は、覚ゆること難くやはんべらむ」。上、(朱雀)「それをこそは、今の師も忘れにたらむとは思はめ。かしこに、おぼつかなく思ほされむよ」とのたまふ。
仲忠、「げに忘れにてはべらむよしばかりをば聞こしめされてしがな、と思ひたまふるを、いかでかは参らすべくはべらむ」と聞こゆれば、
(朱雀)「早う。それをだにものせられずはさらに聞かじ」など、許しげなく仰せらる。
仲忠、いかがはせむ。参らせたてまつらむかし、と思ひて、ものも聞こえで立つ。
 右大将見たまひて、(兼雅)「朝臣や、などさばかり仰せらるるものを、またいづちぞや。あやしく魂(たましひ)静まらず、異(こと)様(やう)にもなりゆく人かな。見苦しかめり。しばし候へ」とのたまふ。
宰相、(仲忠)「仰せらるることによりてなり」と申す。
(兼雅)「さては何かは」とのたまふ。
宰相、近(この)衛(ゑ)の御(み)門(かど)に出でて、その日、父おとどの御車のいと清らにて立てるに、おのが車をばうち捨ててはひ乗りて、おとどの御(ご)前(ぜん)、みな仕うまつる。

(小学館新編日本古典文学全集)

 その後も仲忠は、決して琴は弾けないことを申し上げ、その思いを詩に託して申し上げなどして、ひたすら断り続けた。

 帝は(わけのわからんことを言うやつめ。こいつに言い負かされるのはしゃくだ)とお思いになるが、ふと、仲忠の母に、長年何とかして会いたいものだと思い続け、昔から入内を打診して、何とかして女御にとばかり思っていたが、消息不明となりがっかりしていたことを思い出す。
今その健在が知れるのみならず当世の趣味人・美人の二、三人のうちに入るのを、この機会に近くに召そうと思い、
帝「ならば、そなたはけっして弾けぬというのだな。そなた自身が弾けぬというなら、そなたの技量に同等の奏者はおるのか。」
仲忠「我が一族では松方が弾けましょう。同じ奏法を身につけております。」
帝「あの者の琴は時々聞いている。もう少し珍しい者はいないか。」
仲忠「我が一族の奏法は松方以外にはおりません。」
帝「もっと思い出せ。本当におらんのか。」
仲忠「おりません。」
帝「女ではどうだ。誰かいないか。」
仲忠「思いつきません。」
などと帝がしつこくお聞きになるので、煩わしいことになったと思いながら、
「私は父方も母方も女の親戚は少ないのですが、その中でも母方の親戚は松方以外には、楽の才能のあるものはおりません。琴は母方の親戚がかの俊蔭の琴を伝承しているはずなのですが、しかしそのような者はもういないのです。」
と申し上げる。
帝「なるほど、よくわかった。では琴の名手であるそなたに、その技を伝えた者は誰なのだ。『誰もいない』とは申せまい。その者を今宵の賭け物として出すがよい。早くせよ。それさえも聞き入れぬというのであれば……もうどうなっても知らんよ。」
とおっしゃる。
仲忠「伝承した私でさえその技をまったく忘れてしまいましたのに、その元の師が覚えていることはさらに難しいのではないかと。」
帝「元の師が忘れたのだから、今の師であるおまえも忘れてしまったというのだな。そして元の師ももうおぼつかなくなってしまったと。」
仲忠「おっしゃるとおりで。……ですが、私が忘れてしまった技法だけでも元の師からお聞きになっていただけたらと、思っておりますが、……が、しかしどのようにしても参内は無理ではないかと。」
帝「とやかく言わずに早く参内させよ。それさえもかなわぬならば、もう何も聞くまい。」
などと厳しくお命じになる。
仲忠は、(まいったなあ。どうやって母を参内させよう)と思いながら、何もいわずに立ち上がった。

 その様子を遠くから見ていた右大将は
「仲忠、あれほど帝がおっしゃっているのに、どうしてまた出て行くのだ。妙に落ち着かず、人が変わったようだ。見苦しいぞ。ちゃんとお仕えせよ。」
という。
「帝のご命令で出かけるのです。」
と仲忠がいうと右大将は
「ならばよいが。」
とおっしゃる。

仲忠は近衛の御門に出て、自分の車を置いて、父の立派な車に乗り込むと、父の従者たちがそれに従って退出する。


仲忠の一族で琴の奏者と紹介された「松方」は吹上訪問のきっかけとなった清原の松方の
ことであろう。

清原なので親戚と思われるが、俊蔭の技法を伝授しているはずはない。
さわりくらいは教わっているかもしれないが、真髄は仲忠の母にしか伝えていないので、この部分は、仲忠のでまかせと思われる。

仲忠の父と仁寿殿の女御に対し、今度は仲忠の母と帝が近づく。

だんだんやばいことになってきた。

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