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宇津保物語を読む8 あて宮#7


実忠、小野よりあて宮に長歌を贈る

 宰相も、参りにしよし聞き果てて、ようになりにければ、のうちにと、坂本に、小野といふ家に来て、大願立て、よろづの神仏に祈りて、泣きがれつつ惑ひたまひければ、からうして生きたれど、ありしやうにもあらず、宮仕へもせで、ただつれづれとありれど、悲しく覚ゆれば、小野より、兵衛の君のもとに、かく聞こえたり。
 (実忠)「かくばかり消ゆるわが身に年を経て
  燃ゆる思ひの絶えずもあるかな
いづれの世にか思うたまへ慰めむ。あないみじや」と聞こえたり。あて宮見たまひて、あはれと思せど、ものものたまはず。
 源宰相、悲しく覚ゆれば、三月つごもり方に、かう聞こゆ。
  かけていへば ちりと砕くる 魂に
  深き思ひの つきしより 入江のとこに 年を経て
  つらを並べて 住む鳥の 行く方も知らず 鴛鴦をしの子の
  立ちけむ方も 思ほえで 黄なる泉に 消えかへり
  涙の川に 浮き寝して 今や今やと 頼み
  君が心を 限りぞと 思ひし日より 山里に
  一人眺めて もえわたる 深き山辺と みつしほ
  袖の漏るまで たたへども みるめ求めむ かたもなし
  今はかひなき 心地して りぞものは 悲しかりける
など聞こえけれど、御返りなし。
 かくおぼつかなければ、さらに忘れ聞こえず、折々につけて、なほ聞こえけり。交じらひもせず、宮の御もとへも参らず、眺めたまへり。
〔絵指示〕
ここは、源宰相、小野におはす。はらからの中将はいましたり。おとど御文あり。

(小学館新編日本古典文学全集)

 実忠の宰相も、あて宮が入内したと聞き、気を失ってしまった。父大臣はその夜のうちに坂本の小野という家にきて大願を立てよろずの神仏に祈り、泣き焦がれながらお祈りにると、なんとか息を吹き返したものの、以前のような元気もなく、宮仕えもせずただ茫然と過ごすようになってしまった。それでもやはり悲しく思われたので小野から兵衛の君宛に文を送る。

 「このように消えようとする私の中で、
  長年燃え続いている思いの火は
  いつまでも消えることもないのです。

いつになったら心が安まる時が来るのでしょう。ああつらいことだ。」

と申し上げた。
あて宮はかわいそうにとは思うもののお返事はなさらない。

 源宰相は悲しく思われたので、三月の末、このような長歌を送る。

  言葉にすれば チリのように砕けてしまう 魂に
  あなたへの深い思いを 抱いてから
  入り江の床で 長い年月を過ごした鴛鴦(妻)が
  列をなして飛ぶ 行方も知れず
  鴛鴦の子(わが子)が 飛び立つ先も 思いもかけず
  黄泉の国に 行ってしまったので
  涙の川の中で 日々を過ごし
  今や今やと 頼りにしてきた
  あなたの思いも 今をかぎりと 諦めた日から
  山里で 一人山々を眺めて過ごし
  木々の芽が萌えるごとく 思いの火は燃え続け
  満ちてくる潮のように 涙で袖は濡れるばかり
  あふれるほどの涙の中に 海松藻(見る目)を求めても 見つからない
  今は甲斐のない 思いがするものの
  ただあなたへの名残惜しさだけが 悲しいのです

などと申し上げたけれどお返事はない。
 このように返事も期待できないことであるが、あて宮への思いは決して忘れることは出来ず、折りにつけて文を送る。
 出仕もせず東宮のもとにも参上せず、ただ物思いにふけりながら、山々をながめ暮らしている。

〔絵指示〕省略


実忠はかいかわらずあて宮への思いを捨てきれないでいる。
仲頼とは違い実忠に対しては、あて宮は返事をしない。ただ「あはれ」とは思ってくれたようだ。

実忠は長歌を送るが、実忠の妻も、以前「菊の宴」でわが子真砂子君の死を嘆いて長歌を詠っている。
語句的にも対応するものがあり、対をなしているとも言えるが、妻の歌は純粋にわが子の死を悲しむ歌であるのため、その思いの深さには比べようもない。

あて宮は妻の歌も知っていたであろうから、その思いの深さに実忠の軽薄さを読み取ってしまったのかもしれない。

せっかくなので妻の長歌を引用する

実忠の妻の長歌

思ヘども 悲しきものは いけみず
のどけきことを 結びつつ 鴛鴦をしの子どもも 並びゐて
憂きもつらきも もろともに 淵にも瀬にも 遅れじと
契りしものを いつのに 花の色々 咲きまがふ
春の林に 移りゐて 跡だに見えず なりゆけば
明くるあしたを 眺めつつ 嵐の風の 音にだに
聞こえやすると 待ち暮らし 暮れゆく時は 飛ぶ鳥の
影や見ゆると 頼みつつ まつの葉繁き 奥山の
深く悲しと 思ひつつ 月日の行くも 知らぬ
ふたに生ひし なでしを 来る朝ごとに かき撫でて
いつしか色の 薄き濃き 盛りをだにも 見むとのみ
思ひしほどに うちはへて 親を恋ひつつ 泣きめし
からくれなゐの 海を出でて 黄なる泉に 下り立ちて
いさの波を うち背き 悲しき岸に 着きにけり
よる々ごとに むばたまの 衣の下に 臥しわたり
しののめごとに 起き居つつ 花のもとに 遊び
わが子の一人 行く道に 枝なる雪の 消ゆる
遅れむとやは 思ほえし 宿のいた間は 荒れまさり
このもとはかく 漏りぬれど 玉の枝にも ありしかば
蝶鳥だにぞ 通ひし 空行く雲の よそにても
ありやと問はば 深草の 峰の霞と ならましや
なほたらちめを 思ふには 眺めて暮らす 春の日の
日暮らしまでに 立つちりの 数も数には あらずもあるかな

(小学館新編日本古典文学全集「菊の宴」p.72)


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