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宇津保物語を読む9 内侍のかみ#16


帝、仲忠の母に弾琴を勧めるが従わず1

 上おはしまして、仁寿殿の南の廂のましよそへつる西の方に、御屏風びやうぶ、御几帳など立てさせたまひて、「かんだち、しばしあなたに」とて、ひんがしかたに渡して、そこにおはします。仲忠、すけずみの君を、
(仲忠)「いざたまへ。仲忠、せちなる人よひ参らするを、御かげに隠してて入りたまへ」。
祐澄、「だれぞや」。
(仲忠)「いさかし」とて率て、さてやむごとなくむつましき人に几帳持たせて、父おとどの御くつ持たせて、(仲忠)「はや下りたまへ」といふ。
(俊蔭娘)「もの思ほえずも思ほゆるかな。いづくに下りよとてぞ」。
中将、(仲忠)「あなさがな。な知ろしめしそ。さりとも悪しきところにはおはしまさせてむや」。
北の方、(俊蔭娘)「あな苦し。ことやうなる参りかな。さる心も思はぬものを。かたはなる目をも見るかな」とのたまへど、むかしより中将のことに従ひたまへば下りたまふ。
童四人、御几帳をさきにさしたり。大人しりに立ちて、中将くつはかせたてまつり、取らせて、御髪つくろひ、かしづき立てるさま、めでたきこと限りなし。いとうつくしげなり。めでたくつくろひて、われもこと君だちも、几帳さして参らせたてまつる。
 上出でおはしまして、みな人出ださせたまふ。おお殿とのあぶら消たせたまふ。御さいまつどももみな消たせたまひて、まうのぼらせたまふすなはち、
上、(朱雀)「御道のしるべせむ」とて、(朱雀)「なほこれより」とのたまひて、御つぼねへ入れたてまつりたまひて、中将さりげなくて居たれば、大将、さらに夢にもこの北の方ならむとも知らず。

(小学館新編日本古典文学全集)

 帝は仁寿殿にお出ましになり、廂の間の西方に、屏風や几帳などを立てて
「上達部たちよ、しばらく席を外すように」
と東の方へ移動させ、席にお着きになる。
 仲忠は祐澄を誘い、
「さあ行きましょう。私は今日大切な方をお連れしたので、あなたに蔭になっていただきたいのです」
祐澄「それはどなたですか」
仲忠「それは内緒ですけど」
と連れて行く。
たいそう高貴な方々に几帳を持たせ、従者には父右大将の沓を持たせて仲忠は
「さあ、降りてください」と母を促す。
母「どうなっているの。どこに行くのですか」
仲忠「まあまあ、どこでもよろしいじゃないですか。悪いようにはいたしませんから」
母「不安ですわ。あまり例のない参内の仕方ですこと。思いがけない展開で不都合なことが起こるんじゃないかしら」
などとおっしゃるものの、昔から仲忠の言葉に従ってきたので、今回も言うとおりにする。女童4人に几帳を持たせ先に行かせ、女房たちは後ろに立たせる。
仲忠みずから沓を履かせ、裳裾を持ち髪を整えてお仕えする様子はすばらしいことこの上ない。とても美しく威儀を正し、自分と祐澄とで几帳をさして母を参内させる。
 帝がお出ましになり、他の者たちはすべて仁寿殿から立ち退かせる。
大殿油も消し、庭の松明もみな消して母北の方を参上させるとすぐに、帝は
「ご案内いたそう。ささ、こちらから」
とおっしゃって、北の方を局に入れる。
仲忠が素知らぬふりをしているので、右大将はまさか自分の北の方だとは気がつかない。

その2

 上、御几帳のもと、しとねうち敷きて居たまひて、客人まらうどに物語したまふ。
(朱雀)「今宵、仲忠の朝臣にいふことありつれば、みづからはえせずなむあるべき。代はりを、などものしつれば、いかなる代はりをかはと思ひつるは。年ごろの心ざしのあらはるるにこそはありけれ」。
北の方、(俊蔭娘)「いとあやしく、例よりも思うたまへられつるを、にはかに候ふべきさまにもあらず、いひ急がしはべりつれば、ものも思ほえずまかり出でぬるこそ、いとあやしけれ」。
上、(朱雀)「何かあやしからむ。常にかくこそあらまほしけれ。興ある夕暮れにこそ。そこに参り来て承らまほしきことあれど、え。さすがにところせき心地して、心もとなくありつるに」など、年ごろ、むかしのことのたまふ。
(朱雀)「むかし、きやうの朝臣のありし時より、なほいささかもののをかき鳴らして聞かせたまはなむと思ひて、御迎へせむと常に思ふことありしかど、朝臣のありし限りは、さらにあやしく古めきのぞうにて、かかる筋のこともうとましげにやありけむ、たまたま、参らせたまへとものせしかど、聞き入れられずなりにき。その後は、さらに世の中に聞こえたまはずなりにしかば、心ざしのみ多くて、少しも知らせたてまつらずこそなりにしか。さるは、かく平らかにものしたまひけるものを」。
北の方、(俊蔭娘)「年ごろは、世の中にも住まぬやうに侍りし。むかしと今となむ、この世の中は見たまふる」。
(朱雀)「中ごろは、いづれの世にかものせられけむ。むかしながらたいめん賜はらましよりも、まして心ざしまさることこそあれ。しか思ひし時は、目馴れやあなづりきこゆる時もありなましかし。いとかたきことこそものしたまふめれ」。
北の方、(俊蔭娘)「何ごとにか侍らむ。心まさりしぬべきことにも侍るなるかな」。
上、(朱雀)「おぼえたまはずやは。おのづからいはねどしるく見えたまふらむとなむ。思ひ心ざし聞こえ始めては、聞こゆる人も聞きたまふ人も、いとまなくなむ。まづ今宵の人の代はりにものしたまうぬるを、かの人の譲りきこゆらむことを、はや」とのたまふ。
(俊蔭娘)「さらに譲るなどある人も侍らずなむ」。
上、(朱雀)「あなさがな。おもとにさへ、かくこそのたまはざらめ。早う」とのたまふ。
御いらへ、(俊蔭娘)「何ごとにか侍らむ。さらにいひ知らする人なむ侍らぬ」。
上、(朱雀)「仲忠朝臣は、聞こゆることはなしやは」。
北の方、(俊蔭娘)「さらにものも申さずなむ。ただ陣のわたりにもの見たまへよ、とものしはべりてなむ。かくさぶらはすべかりけるを、しきにも出ださで侍りつれば、何ともなく、里姿も引き変へず、急ぎまうでつるを、かいもとに隠れてもの見さぶらふべきむぐらの陰なむある。なほまかりりよ、とものしはべりつれば、常もそらごとしはべらぬを思ひたまへてなむ、玉のうてなまで候ひにける」。
上、うち笑ひたまひて、(朱雀)「よそなれば、ここもかひなしや。御ありつらむ葎の下ならねば」。
北の方、(俊蔭娘)「今はその葎もかどしてなむ」。
(朱雀)「わづらひきこゆる人もありけり」とのたまひて、
(朱雀)「まことか、中将の朝臣の聞こゆることもなかりつらむは。さらば聞こえむかし。古き人の前に物語するやうにやあらむ。よひ中将の朝臣のせちなるいひごとの数ありつるを、さらにみづからはものも思ほえず。もの忘れせぬ人をものせむ、とありつるは、げにそうもうの内にこそはものせられけれ。されば、それをも聞こえむとてなむ」とて、
仲忠に賜ひつるせいひんの御琴をの調べながら取り出でたまひて、
(朱雀)「これをなむかの朝臣に、『今宵のいひごとのかずに仕うまつれ』とものしつれば、『おもとに聞こえよ』と申されつる。これさらに声も変へじ。ただこの声ながら、この調べの手をとどめたまふ手なく遊ばせ。きんといふものの声あまたなれど、なほなむあやしくあはれに思ほゆる」とのたまふ。
北の方、(俊蔭娘)「さらに人たがへに聞こえさせたるにや侍らむ。きんとは何の名にか侍らむ。それをだにえ知りはべらぬに、あやしくも聞こえさせけるかな」。上、(朱雀)「この御けうの絶えぬを、名隠ししたまふこそはうなけれ。さても許しきこゆべきにもあらずや。まさにそれよりは変へてむや。むかしよりしるきをば」。
北の方、(俊蔭娘)「難き御ことと、いかが聞こえさせざらむ。さらにきんといふもの、よそにても見たまへずてなむ。むかしさもやありけむ。年ごろ、さらに目に近く見たまへねばにやあらむ、かけてこれとなむ思ひたまへられぬ。そがのちに侍りし仲忠、さらに覚えはべらずなむたび々申すめる。それこそ少しむかしの人々などにも、あまたの手きまさりて仕うまつるめりしか」とて、さらに手も触れず。
上、(朱雀)「これつらき御ことなり。まさに若き時よりしつきたまふらむこと、いとさ忘るばかりあらむや。ざいといふもの、若くよりつきにたること、さらに年れど忘れぬものなり。中将の朝臣は、なほ知らるることのあたりに申さるるにこそあめれ。まことに忘れなば、いとくちしきことにこそあべけれ。てんにいふとも、いと離れてあるまじきことには、人憎からぬなむよき。むかしの朝臣の、さる世の中の一の者にものせられしのち、おもとにのみこそものしたまへ。さるありがたき手を伝へ取りて、たれも誰も、少しづつなりとも聞こえつべかりける。まめやかにかうのたまふこそいとつらけれ」と、せちに許さずのたまふ。

(小学館新編日本古典文学全集)

 帝は几帳のそばに褥を敷いて座り、北の方に話しかける。
「今宵、仲忠の朝臣に琴を弾くように命じたのだが、自分では弾けないと申すのでな。で代わりの者にというものだから、誰を代わりにするかと思っていたのだが……。しかしそなたであるならば、長年の願いがかない嬉しいことだ」
北の方「いつもと様子が違うので不審に思っておりました。急に何の準備もなくせかされて、わけもわからないまま参りましたので、お見苦しいことと存じます」
帝「なんの見苦しいことがあろうか。いつもこうしていたいと思っていたのだ。興のある夕暮ではないか。こんな日には、そなたと、こうして話をしたいと思っていたのだが、それもかなわずにいた。さすがに窮屈な身の上ゆえ、思い通りにいかないのでね」
などと積年の思いを訴える。
帝「昔、そなたの父治部卿が存命の頃から、いささかなりとも琴の音をかき鳴らして聞かせてほしいと思い、入内するようにといつも思っていたのだが、治部卿はずいぶんと古風な考えのようで、入内することも気にそぐわなかったようだ。たまたま何かのおりに入内するようにと伝えたこともあったが、聞き入れてもらえないままであった。その後そなたの消息もわからなくなり、思いばかりが募るものの、どうすることも出来ずにいた。……それにしてもこのようにご無事であったとは」
北の方「長い間、世間から離れて暮らしておりました」
帝「消息を絶っていた頃はどこにいたのだ。……しかし、こうして時を経て対面する方がそなたへの思いも増さるというもの。昔の思いのままであったら、見慣れてしまい愛情も冷めたかもしれぬ。
……それはそうと、少々難しいことをお願いしたのだが」
北の方「なんでございましょう。思いがけないことのようですが」
帝「わかっておろう。申さずともわかることだとは思うが。あえて語り始めたら、止まらぬやもしれぬ。
ともかくも今宵仲忠のわかりとして参ったのだから、あの方から伝授されたという琴を早う弾いておくれ、」
北の方「さて、私は琴の伝授などされておりませんが」
身など「素直でないのう。そなたまでもがそのように言うではない。早う」
北の方「何のことでございましょう。まったくうかがい知れぬこと」
帝「仲忠から聞いておらぬのか」
北の方「まったく聞いておりません。興ある催しがあるので、陣のあたりで見物するようにと言われただけでございます。このように御前に上ることなどおくびにも出さずにおりましたので、何の準備もなく、私服のまま急いで参上いたしました。御垣のそばに隠れて見物の出来る葎の蔭があるので降りるようにといわれ、いつも嘘を言う子ではないので、言うとおりにしたら、このようなことになってしまって……」
帝はお笑いになって
「それは残念だったね。葎の下ではなくて」
北の方「もう『葎の下に行っても閉まっている』でしょうし」
帝「『心配している人もあるだろう……』というわけか。ほんとうに仲忠は何も言わなかったのかね。それでは教えてあげよう。なんだか古い友人に話すような気分もするが……。今宵仲忠と琴を弾けとの賭けをしたのだが、『自分は琴の演奏を忘れてしまった。覚えている人を連れてこよう』というのでな、それでそなたが参ったということさ。本当に思わぬ所にいらしたことだ。さあ琴の演奏をしておくれ」
といって、仲忠に与えたのと同じ「せいひん」という名の琴を胡笳の調べに整えて取り出し、
「これをあの仲忠に『約束通り演奏せよ』と渡したら、そなたに頼めと言ったのでな。仲忠に渡したときから調律は変えてはおらん。この音色のまま胡笳の調べを手を惜しむことなく奏でておくれ。琴というものにはいくつかの調べがあるが、やはり胡笳の調べが不思議とあはれに感じられるのだ」とおっしゃる。
北の方「やはり人違いでございましょう。琴とは何の名でございましょうか、それさえ知りませんのに、不思議なことをおっしゃいます」
帝「ここまで来てまだしらを切るか。琴の名声を隠してもしかたあるまい。絶対に許しはしないよ。私の気持ちが変わることはないからね。はっきりしていることだ」
北の方「難しいこと、としかお答えしようがありません。まったく琴というものをよそでも見たことなどないのです。仮に昔そのようなことがあったとしても、長く目にしておりませんので、まったくわかりません。跡継ぎの仲忠がまったく覚えていないと申しているようですが、その仲忠の方が、少しは昔の人々などよりは上手に弾くのではありませんか」
といって決して手を触れることをしなかった。
帝「これは無理な言い訳だよ。若いときに覚えたことは、そんなさっぱり忘れてしまうものではない。才というものは、若いときに身につけたことはけっして年を取っても忘れないものだ。仲忠はそなたが演奏できることを知っているのだ。本当に忘れてしまったなら残念なことだ。世間が何といおうと、逆えないことは素直に従うべきだ。かつて俊蔭の朝臣は当代随一の名手とされる技を、そなただけに伝授したのだ。そのような貴重な技を伝授したのなら、誰にも少しずつであっても聞かせるべきなのだ。それをムキになって断るというのはつらいことだ」
と決してお許しにならない。

その3

 かたみに、上も北の方ものたまひ交はして、
上、(朱雀)「『かきなす琴の』とこそいへ。つらしや」とのたまひて、

 (朱雀)「よそにこそをもなくてはふけけて
  かぬもつらきことにもあるかな

『君がつらさに』とはこれらなりけむかし」。
北の方、(俊蔭娘)「秋の調しらべは弾く者こそあなれ」とて、

 (俊蔭娘)「秋風の調べて出だす松の
  たれをたつの山と見るらむ

竜田姫か、と思ひたまへらるるかな」。
上、(朱雀)「いでや、手触れらるる人もなければ、みなちりにたりや。

  水を浅みひく人もなき
  あしひきの山の小川はちりぞ調ぶる

さるは、宿すくもありとか聞く」。
北の方、(俊蔭娘)「目に見ずはいかが」とて、

 (俊蔭娘)水を浅みいさも見ゆる山川は
  秋のりもひかずやあるらむ

上、(朱雀)「なほ、遊ばしみよや。

  りだにひきはじめてば
  山川の底より水は絶えず出でなむ

心ざしは泉よりもまさりなむ。よしよし見たまへ。まめやかにかうのたまひてやあらむとする。さてはえまかでたまはじ。早うこそ」と、いとせちにのたまふ。

(小学館新編日本古典文学全集)

 帝も北の方も互いに譲らず、
帝「『かきなす琴の』と申すではないか、つらいことだなあ」
とおっしゃり、

 「よそにこそをもなくてはふけけてかぬもつらきことにもあるかな
  (よそでも琴の音を聞くこともできず声もなく泣くことだ
   夜が更けても弾いてくれないつれない琴であることよ)

『君がつらさに』とはこのことだよ」
北の方は「秋の調べを奏でる松もございます」といって

 「秋風の調べて出だす松のはたれをたつの山と見るらむ
  (秋風が奏でる松の音は竜田姫が奏でさせるというけれど
   今奏でている松風はだれが奏でさせているのでしょう)

私のことを竜田姫だと勘違いなさっておいでです」
帝「いやいや、手を触れるものがいないので、みんな塵が積もってしったよ。

  水を浅みひく人もなきあしひきの山の小川はちりぞ調ぶる
  (水が浅いので、田に引く人もいない山の小川は
   チリチリと音を奏でるのです)

そなたがここで琴を弾くのは宿縁というものだ」
北の方「目に見えなければどうして宿縁だとわかりましょう。

  水を浅みいさも見ゆる山川は秋のりもひかずやあるらむ
  (水が浅いので川底の砂も見える山川は
   秋の水守もひかないのです)」

帝「とにかく弾いてごらん。

  りだにひきはじめてば山川の底より水は絶えず出でなむ
  (水守でさえひきはじめたならば
   山川の底から水は絶えず流れ出るだろう)

私の思いは泉よりも深いのだ。まあ見ていてごらん。頑なにそうおっしゃるならば、帰すわけにはいかない。さあ早く」
と熱心におっしゃる。


ついに帝と俊蔭の娘の対面である。
俊蔭の娘を入内させよとは俊蔭の巻にある

俊蔭は世間との交流を絶ち、帝、東宮の使者も受け入れないままこの世を去る。
そうしてふたたび、かつての東宮は帝となって俊蔭の娘と再会する。

しかし仲忠は帝が母と接近することについてどう思っているのだろうか。
父と離れ母と二人で暮らしてきたので、父のことはどうでもいいと言っては何だが、母に対する思いとは違う。
父と母の関係よりも、琴の一族としての命運の方が大切なのだ。
母の琴が認められることは、やがて自分とまだ見ぬ子孫の栄華に通じると判断したのではないか。

かつて仲忠は帝の前で秘琴「なん風」を弾いた。それは母も承知の上である。

母は仲忠に秘琴「なん風」を弾かせ、仲忠は母に琴を披露させる。
この親子は琴の伝承者であることを押しつけ合うかのようだ。

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