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宇津保物語を読む9 内侍のかみ#11


帝仲忠と賭け碁をして仲忠の母を召す(前半)

 かかるほどに、上、何ごとをしてこれにものをいはせむ、と思ほす。仲忠はいとかけ離れて候ふに、上、ばんを召して、仲忠と碁遊ばす。
(朱雀)「何をのりものけむ。いとせちならむものも賭けじ。いひごとを賭けむ」
とのたまはせて、三番に限らせたまひて遊ばす。上の御ざえを尽くしてしたまふ中に、碁なむ一にしたまひ、栄えおはしますうちにも、これにいかでと思ほし、仲忠はた、さ思ほすらむとも知らで、ただ藤壺にてもの聞こえつるのみ思ほえて、われこの御碁に勝たむとも思はず、たましひはただ藤壺にてかうのみあるここして仕うまつりければ、一番に上勝ちたまひぬ。二番は仲忠勝ちて、果てのたび、手を一つ打ちあやまちて、ただ目一つを負けたてまつりぬ。上興ありと思して、
(朱雀)「早うのりものづくのことは」と仰せらる。
仲忠「何ごとをかは仕うまつるべくはベらむ」。
(朱雀)「ただいふことを否ぶまじきばかりなり。労ある秋、夕暮れにいはむこと、ただにはあらじかし」と仰せらる。
仲忠、ねたう負けたてまつりぬるかな。心遣ひして仕うまつらましものを。何ごとをか仰せられむとすらむ、と思ひて、
(仲忠)「とく承りて、身に堪へぬべきことならば、仕うまつり、堪へぬことならば、そのよしをこそ奏しはべらめ」。
上、(朱雀)「仲忠が堪へぬことはよにありなむや。さて堪へぬべきことならば、承りなむやは」。
仲忠、「承りてのみなむ」。
上、涼に賜ひつる琴と等しきせいひんを同じ声に調べて、
(朱雀)「これなむ今日のいひごとに仕うまつらむに、よろしき琴なる。これさらに、よにたえてこゑ聞かず。これがの出で来む限り、このゐんを、立ち返り立ち返り度々遊べ」と仰せらる。
仲忠奏す、(仲忠)「こと仰せ言は、身をいたづらになさむ。ほうらいあくこくやくどんを取りにまかれと仰せらるとも、身の堪へむに従ひて承らむに、さらにこの仰せごとなむ、かかる所々に遣はさむよりもかたき仰せごとなる」と奏す。
上うち笑はせたまひて、
(朱雀)「になきちよく使かな。さりとも、蓬萊の山へ不死薬取りに渡らむことは、どうなんくわんぢよだに、その使に立ちて船の中にて老い、『島の浮かべども蓬萊を見ず』とこそ嘆きためれ。かの心上手のさる者だに、つひに至らずなりにける蓬萊へ、今朝臣の、日の本の国より、行くらむ方も知らず、不死薬の使したらむこと、少しわづらはしからむ。えや求め合はざらむ。童男丱女、え劣るまじかめり。今一つ、けうある丱女出でるわづらひあらむ。これ、になき使好みなり。また、悪魔国に優曇華取りに行かむに、少し身の憂へやあらむ。かれも、なんてんぢくよりこんがうだいの渡りけることは、むつましきともがらを隣の国より迎へ取りて、これあひかへりみるとて、時のこくあたをいたしてなむ、さる使には出だしたりける。それ南天竺より渡るに、ねんに年にたれば、にくともがらの、別れに会はずとは嘆かずや。それをいかに朝臣の、こくあたありともなくて、またさる薬要ずる后ありともなくて、にはかに親を捨てて渡らむに、少しもののわづらひあり、けうになりなむ。身の疲れありなむ。かくになきことよりは、ただここながら、調べたる一つ弾かむことは、易からむかし。あるまじき使には進まで、ただこの琴を、手一つかき鳴らして聞かせなむ。かのやくどんに劣らざらむ。不死薬は、一つ食ふともばんさいよはひありといひて、かの国の帝王、さるかたき使を立てて求められ、優曇華は、にはかにせむる命とどめむとてなりける。いづれもいづれも、命を惜しむ薬なりけり。それを朝臣、今宵のいひごとを、さらばとて、あくこくほうらいの山まで出だし立てむなむ、われ少しはかなき。まづはわれかく目に近く見馴らしたるを、さる心すごき使に、遥かなるほどを出だし立てて思はむになむ、少しあはれに心細からむ。また生きて見し人も、ただ今ものせらるる、それが嘆き思はむを見むに、いとかひなからむかし。かくいふほどに、不死薬をも蓬萊にも、至らむと思はむほどに、ともかくもあらば、不死の薬も何にかはせむ」と仰せらる。
仲忠、「さては、向かふこと難き蓬萊には侍らざりけり。ただ不死薬なむ、かれはべりにける」と奏す。
上、(朱雀)「されど今宵は、わうが家に劣らずなむありける」。
仲忠、「近きまもりに、どうなんくわんぢよこそ候へ」と奏す。
上、(朱雀)「海広く、風早きを、いかで求められむとすらむ」。

(小学館新編日本古典文学全集)


 こうしているうちに、帝はどうやって仲忠にいうことを聞かせようかと考え、遠くにいる仲忠を呼び、帝は碁盤を用意し、仲忠と碁を打つことにした。
帝は「何を賭けようか。あまり大切なものを賭けるのはようそう。相手の言うものを賭けようか。」
とおっしゃって、三番勝負をする。
帝は数多くの才をお持ちだが、その中でも碁は一番得意としているのに加えて、仲忠に何とかして琴を弾かせようと考えている。仲忠はそんなことともつゆ知らず、ただ藤壺であて宮と語ったことばかりが思い出され、勝負に気が入らない。
気もそぞろであて宮のことばかり考えているので、最初の勝負は帝が勝った。
二番目は何とか仲忠が勝ち、最後の勝負は手一つ打ち間違えて、一目差で仲忠が負けてしまった。
帝はしめたと思い、「早く賭けを実行しよう」とおっしゃる。
仲忠「何をすればよいでしょう」
帝「私のいうことを断らなければいいのだ。趣のある秋の夕暮れにいうのだから、並の命令ではないよ。」(ニヤリ)
仲忠はそれを聞き、(まずい。もっと気合いを入れて勝負すればよかった。何を言い出すのだろう)と思い、
「早くおっしゃってください。出来ることならいたしますし、出来ないことなら、そう申し上げますから。」
帝「おまえに出来ないことなんて何もあるまい。出来ることなら聞いてくれるのだろう。」
仲忠「承ります。」
そこで帝は涼に弾かせようとした琴と同等の〈せいひん〉という琴を同じ胡笳の調べに整えて、
「これは今日の賭けにふさわしい琴だ。この琴は長年演奏されていなかった。この琴をその響きのかぎり、繰り返し演奏せよ。」
とおっしゃる。
仲忠は、
「ほかのご命令ならわが身もいといません。蓬萊山や悪魔国に不死の薬、優曇華の花を取ってこいと命令されても、わが身を捨ててお受けしますが、琴を弾けとのご命令だけはこれらの国に行くことよりも難しいご命令でございます。」
と申し上げる。
帝はお笑いになって
「なんとも心強い勅使だ。しかし、蓬莱山へ不死の薬を取りにいくことは、かつて使者として派遣された童男丱女であっても使いの船の中で年老い、『島浮かべども蓬萊を見ず』と嘆いたという。あの用意周到な徐福のような者でさえついにたどり着けなかった蓬莱山へ、今おまえを不死の薬探索の使いとして、日本から行方も知れぬ旅をさせるのは少々面倒なことであろう。見つけることは出来まい。かつて探索を命じられた童男丱女たちにも劣らぬほどの困難だ。それにおまえを勅使に命ずれば、その後を追う物好きな丱女が出てくるとも限らない。それはよろしくないからね。
 それに悪魔国に優曇華の花を取りにいくのは身の危険もあろう。そもそも南天竺から金剛大士が悪魔国に渡ったのは、親しい友人を隣国から迎えその接待をしようという口実で、時の国母が大士に悪意を抱いて派遣させたのだ。南天竺から渡れば当然長い年月が経ち、親しい肉親との死別にも会えないと嘆いたという。それをどうして国母の仇もなく、また不死の薬が必要な妃がいるわけでもないのに、そなたを親を捨てさせてまで派遣しよう。それでは、不都合でもあり、親不孝でもある。体も壊すやもしれぬ。そんなことよりも、今すぐここで調律された琴を弾くことのほうが簡単じゃないか。困難な勅使などせず、ただこの琴を一曲弾いて聞かせよ。あの不死の薬や優曇華の花にも劣るまい。不死の薬は一つ食せば万年の寿命が延びるといって唐の皇帝が使者を派遣し、優曇華の花は差し迫った命を助けるためのものであった。どちらも命を惜しむ薬である。そなたを今宵の命令として悪魔国や蓬萊山まで送り出したならば、我としても少々さびしい。今まで近くに置いて目をかけていたそなたを、そんな悲惨な使者としてはるか遠くまで派遣すのは想像するだけでも心細いことであろう。また育ててくれた父母も知ればきっと嘆き悲しむに違いない。それを思えうと何とも不甲斐ない。不死の薬も蓬莱山もたどり着く前に死んでしまったら、意味が無くなってしまう。」
とおっしゃる。
仲忠「蓬莱山に行くことは〈くらもちの皇子〉でさえたどり着いたのですから、そんなに難しいことではありませんが、不死の薬は時の帝が焼いて、もう無いかもしれませんけどね。」
帝「今宵の風情は不死の薬を持つという西王母の家の風情にも劣らないではないか。」
仲忠「しかし、近衛府には使者にふさわしい童男丱女もおりますから。」
帝「でも海は広く風も激しい中どうやって探すのだ。」


「蓬莱山に行く方がまし」とは断る方便、もののたとえなのだが、本気か冗談か、漢文ネタまで織り交ぜ、いかに蓬莱山に行くのが難しいか、まじめに切々と反論する帝。
それに対して、竹取物語ネタで切り返す仲忠。
横道より過ぎ。
無駄に細かく詳しい宇津保物語ならではである。

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