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家族

またTwitterのフォロワーさんにお題を頂けたので書いてみる。
今回はあまり陽気な内容ではないかもしれない。

私は父母のもと、三姉妹の長女として生を受けた。
リアルの世界からの知人にも言われることだけど、Twitterを見る限り私の家族関係はとてもよくみえるのではないかと思っている。(勘違いではないといいのだが)

家族5人で母の還暦を旅行に行って祝ったり、実家に帰った際は仕事を引退して料理にハマっている父が私のお弁当を作ってくれたり、一人暮らしでも実家に頻繁に帰って家族で宴会をする「陽気な家族」に見えているのではないだろうか。(見えててくれぃ)

父も母もユニークで家族全員酒飲みで楽しそうで、妹とも仲が良くて2人で飲みに行ったり出かけたり、いわゆる恵まれたいい家族、の長女。


そう思われているとしたら私のイメージ戦略は成功している。


でも冒頭に書いたように私は三姉妹。
いつもTwitterにでてくる酔っぱらいの毒舌な妹は8個下の三女。

三姉妹なのでもう一人4つ下の次女がいる。
いわゆる私は「きょうだい児」である。


「大学」というテーマで少し触れたが、私は学生までは親の敷いたレールをその通り歩んできた。
両親の気持ちはわかる。次女が障碍者となると、必然的に長女への期待度は高まる。せめて長女だけは、部活も頑張らせて、いい学校へ、いい就職先へと過度な期待をかけてしまうのは仕方のないことだと思う。
私生活で怒られることはあまりなかったが、成績が悪いとひどく叱られた。偏差値が下がると携帯を取り上げられた。
反対された学部は「作業療法士」の資格が取れる大学だった。単純に大学選びの本を見て興味をもっただけだったのだが、両親は医療系というだけでなんとなく次女と紐づけていると感じたようで、反対された。
私には普通の人生を送ってほしいと。「普通」って何だろうと思ったけど、確かに経済学部ってなんとなく無難で普通かもしれないって思う自分もいる。

ダウン症や自閉症のように症例数が多い病気でもないから、両親もだいぶんに苦悩したことだと思う。
今のようにSNSもない時代だ。ハッシュタグをつけて同じ病気の子供を持つ親同士でつながったりなんてできない。


私自身も苦悩があった。いい大人になっても思い出す、嫌な思い出。
次女が長期入院になったとき、幼稚園を休んで半年も遠い福島県の祖父母の家に預けられた。家族ででかけるのは大嫌いだった。次女をつねに白い目で見られた。小学校4年の縄跳び大会は母が前日になって急に仕事を休めなくなって、長女の私が次女の面倒を見なければならなかったため出ることができなかった。小学校5年生の運動会は別の小学校の特別支援学級に通う次女の運動会と日程が被ってお母さんが次女のほうにいってしまったから、お父さんしか来なかった。中学校では特別支援学級があって、4つ下なので次女とかぶることはなかったが、特別支援学級の子を引き合いに次女のことでいじめられたこともあった。思春期の自分にはそれはそれはつらくて恥ずかしくて耐え難いことだった。

だから、私は人より早く大人になる必要があったし、並みよりはできる人間でいたかった。そうして自分を保っていたように思う。

中学校までの私はいつだって、「障碍者のお姉ちゃん」だった。
幸いにスポーツも勉強も並よりはできたし、「障碍者のお姉ちゃん」だからか周りの大人には必要以上に褒められたと思う。同情かもしれないけれど。


高校受験のとき、地元の高校に進むと知り合いが多く次女のことでまた変なことをされるのがいやだったので電車で通う市外の高校を志望校にした。この頃からリスクマネジメントは徹底している(笑)

「障碍者のお姉ちゃん」から卒業したかった。
高校生になってから、大学、社会人と今に至るまで私は家にいるとき以外、次女の存在を消した。
同情もされたくなかったし、フラットな目線で私を評価してほしかったから。


次女の知能レベルはおおよそ小学校入学手前ぐらいで、いまだにNHKの「おかあさんといっしょ」を見ている。体格も小柄で、言われなければたぶん小学校低学年くらいに見えると思う。こだわりが非常に強いがその障碍の特性としてコミュニケーション能力が高く、また、音楽に長けていて、譜面が読めないくせにピアノが弾ける。音で覚えるらしい。一度発表会を聞きに行ったら不覚にも涙してしまった。

私はアマゾンプライム会員で、父・次女・三女がみたいということで実家のTVもログイン状態にしてあるのだが、有料でアンパンマンの映画?の新作をレンタルされたときはgmailで支払いの連絡が来て会社で吹いたw
新作を有料でレンタルしたためか、暫くアマゾンプライムのHomeの、「あなたへのオススメ」がほぼアンパンマンでうめつくされてめっちゃ笑った。



私は別に次女のことを嫌いではない。大人になった今はむしろ好きである。
私の誕生日には毎年、ラッピングしたアサヒスーパードライを1本くれる。障碍者年金はもちろんあるが、彼女の通っている作業所の月給は3000円だ。しかしお昼ご飯代が月5000円というんだからまるで計算が合わない(笑)

彼女は今後どう生きていくのか、両親がどうするつもりなのかわからないが、今はもう少し破天荒な長女でいさせてほしい。


私は、「障碍者のお姉ちゃん」というレッテルがもう嫌なだけだ。
私は優しくなんかもないし、えらくもないし、頑張ってもいない。
悩みが少なそうで自由きままにだらだらといきてるゆるい人間と思われたいのだ。









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