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なかのアセットマネジメント。東京の初回セミナーに行ってきた①

こんにちわ。週末に、なかのアセットマネジメントの東京セミナーに行ってきました。社長の中野さん、ご存知の方も多いかと思います。日本において長期・分散・積立を15年以上に渡って啓発されてきた、積立投資の啓発の第一人者の一人といえる方です。メディアや業界団体に多くのファンがいらっしゃる方でもあり、積立王子と言われたりもします。

前職のセゾン投信ではパッシブファンドの世界分散投資の商品を中心にファンを獲得し、ファンド残高は7000億円までに成長しました。多くの新しい層を投資に導いた、また、日本全国で行脚をして懇親会まで含めて一般の個人に向き合い続けてきた方です。ただ、昨年の夏前に親会社のクレディ・セゾンの意向で社長を解任されて、同年9月に新たに新会社を設立しました。直近、2024年4月末に2本の投資信託ファンドが立ち上がり、今回はそのお披露目とも言える初めての東京セミナーでした。これからの各地で開催されますので、詳しくはセミナー参加されるのが良いと思いますが、今日は私がセミナーから感じたことなどを記しておきます。

セミナー中、中野さんは「日本初の、顧客本意の、理想の運用会社を作りたい」という点を強調され、以下の4つを挙げていました。

①特定の外部株主に支配されないこと
②真に独立した経営・ガバナンス
③理念に真に共感できるメンバーを集める
④今後の社会的需要を捉える

私は日系・外資の運用会社に20年以上勤めて、顧客のお金を預かって投資をするファンドマネージャーという仕事をやっていましたので、その想いは非常に分かるところです。ただ、①と②に関しては、金融・資産運用業界の構造や、その問題点に関することで、外部からではなかなか見えにくいので、こちらを解説してみます(③と④はまた後日に)。

特定の外部株主に支配されない運用会社の大切さ>

自由市場経済では、人々の投資という行動が、経済を作る根幹になります(あたかも人々の選挙という行動が政治の根幹に当たるように)。自己投資も、働くという時間の投資も、そしてお金の投資も大切です。そして、健全で強い経済を作るためには、人々のお金の投資が、しがらみなく、社会の新しい活動の応援や、既に経済活動をしている主体のモニタリングを、なるべく適切に果たしていくことが求められます。そして、この橋渡しをするのが金融業界とそこから派生した資産運用業界となります。

ただし、金融業界を完全に自由にして活動させると、残念ながら色々な悪さが起こり、人々の日々の仕事などの頑張りが社会の豊かさにつながらない、時には人々と社会の豊かさを奪っていくことが、ここ100年ぐらいでつぶさに明らかになってきました。選挙という制度は素晴らしいけれど、公職選挙法がないと民主主義は正しく機能しない、というような感覚で考えてもらえばと思います。

人々の投資活動を活発にして、それを無駄なく、社会の豊かさに繋げる。あくまで投資は善として捉えて、投資の力を社会全体の幸せに繋げるために金融業界や資産運用業界はどうあるべきか。この問いに対して、先人たちが業界全体の歪みをつぶさに観察し、考えを巡らせ、それを解決するための知恵が蓄積されてきました(投資は悪であり、投資を止めてしまおうということではない)。その一つのポイントの分かりやすい表現が、中野さんの言う「特定の株主に支配されない運用会社」となります。

個人の投資と社会の経済活動を結びつけるのが金融商品ですが、その作り手や売り手のいわゆる業者と、買い手の個人の間には、一般に大きな情報格差があります。プロは分かってるけど、一般の人は分からない。この格差が上で述べた「悪さ」の原因、「悪さ」がバレずに残り続ける原因となっているのです(これは利益相反と言われます)。

そして、金融商品の製造業社と販売業社と市民の3者のあるべき関係性として、以下の5つを正していくべきだという提唱がされるようになりました。こちら現時点ではあくまで理想の話で、どの国もまだ完全にそこまではなっていませんが、各国の監督官庁はこの方向に関係性をすすめるように我先にと努力しています。

(1)金融商品に対して市民が支払う手数料は、できるだけ分かりやすく示されるべきだ

(2)市民が払う手数料は、販売時の大きな一時的なコミッションではなく、その保有中続く小さく長期的なフィーを主体とするべきだ

(3)金融商品の製造と販売業者は分離され、それぞれのサービスに対する手数料が市民に分かりやすく示され、業者に支払われるべきだ

(4)販売する立場にいる業者は、商品の販売コミッション(購入金額x数%)ではなく、時間当たりの相談料を市民から受け取るべきだ

(5)製造する立場にいる業者は、銀行・証券会社に支払う売買の取次手数料と投資アドバイス料を分離・透明化して、投資家に隠れたコストを負担させないようにするべきだ

あくまで私なりの5つのまとめですが、市民への透明性を高めること、そのために業者の付加価値と報酬を明確に分けていくこと(まぜるな危険)、それにより業者と市民の「利益相反」を可能な限り減らしていくという方向性です。これが、長期に市民の積極的なお金の社会参加を促し、投資の力を社会の豊かさにつなげることになるからです。

市民の金融商品と言える「投資信託」(つまりファンド)を作っている運用会社には、大きく分けて独立系の運用会社と、金融コングロマリット系の運用会社があります(ヘッジファンドなども数多にありますが、それは一部の富裕層向けで最低でも1000万や1億円からとハードルが高いことが多いです)。各国で様々な経緯があるのですが、米国、英国、スイスなどでは前者の独立系が圧倒的に多く、日本では後者が多いというのが現状です。

日本では金融コングロマリット(銀行・証券など)の100%子会社としての運用会社が大半を占めており、結果、顧客に金融商品をどんどん乗り換えさせ(回転売買と言います)業者が一時的な販売コミッションを貪り取るような、金融商品(投資信託など)が量産されることになりました。本来は、顧客の人生のゴールに沿った優良な資産を長期にもってもらうのが正しいと思いますが、顧客が得をしようが損をしようが短期的なギャンブルをさせた方が金融グループ全体としてより儲かるという「悪さ」に、業界の中の人が気付いてしまったのです

すぐに満期が訪れる短期型の商品(悪名高い仕組み債など)や、顧客が乗り換えやすいような一時的に目を引く派手なテーマ型の商品、本当の顧客負担が分かりにくい商品、を推進した人の方が社内成績を残し、出世するような構造ができあがってしまったのです。

もちろん、構造的な問題だけが善悪を極めるわけではありませんし、完全な悪徳業者を見抜けないほど市民は馬鹿ではありません。ただし、金融商品というのは業者と市民の情報格差が大きく、「楽して簡単に儲かる」という人の欲望にアプローチしやすい性格もあってか、悪さをする輩がいることが常態化していきます。

流石にSNSなどが普及しましたし、問題がおきれば当局の指導や規制も入りますので、現在では昔のようなひどい状態は改善されてはいます。ネット証券などの販売側の新興勢力もあり、真に顧客本意に向き合った会社も明らかに増えていると思います。

ただ、金融商品の製造と販売が分離していないと、つまり運用会社の株主が特定の外部株主に支配される形であると、運用会社が顧客の長期の資産形成に貢献するのは構造的に難しくなることは変わりません

販売会社が運用会社の親会社でなければ、上記のような問題は起こりにくいと思います。そして、親会社が誰であろうと良い会社はあるし、悪い会社もあるでしょう。ただし、運用会社側が経営権をコントロールできる状態になければ、市民目線の優良な運用商品を提供することは本質的には難しくなる、のは一つの正しい教訓でしょう。

業績や運用の調子が良い時は問題がなくても、そうでなくなった時におかしなことが起こるものです。

次回に続く。

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