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体験することがもたらすものは

先日、スタートアップカフェ大阪で開催された「写真家は、人を撮るときに何を考えているのか?」というイベントに行ってきました。
登壇されたのは、写真家のワタナベアニさんと、編集者の今野良介さんで、1月にワタナベアニさんが出版された『カメラは、撮る人を写しているんだ。』という本(編集されたのが今野さん)に書かれていることのお話が聞けたり、事前に参加者から募った質問にこたえたり、またそこから発展したお話が続いたり、の充実したイベントでした。

あと、会場にいらっしゃる方のポートレートを撮って、その場で現像のやり方をみせるということをワタナベアニさんがされて、これが一番の個人的見どころでした。プロの撮影現場を目の当たりにすることはあっても(自分が撮ってもらってる場合が多いですが)、終わってからの現像やリタッチのやり方を編集なしのライブで見られる機会なんてそうそうないですし、そこを人にみせるのはなかなかに思い切ったことだと思いました。

撮っている様子を間近でみたいとほとんどの方が座席を離れ前の方へ集まっていらした。参加者のみなさんの熱量がすごかったです。

最後に質疑応答の時間があって、短い時間ながらも内容の濃いこのイベントのいい締めの時間でした。(質疑応答ってイベント参加者の品と知的レベルがあらわれる、そしてだいたいイベントの終わりにあるからこのイベント全体の印象として残ってしまう怖い時間と個人的には思っていて、なんならない方がいいとも思っているんですけど、今回はそんな心配が杞憂に終わった稀なイベントでした。)そのなかで写真をされている若い方から、昨今の生成AIで作られる画像(写真?)の台頭について、写真家の立場でどのように考えているか、という質問がありました。それに対してワタナベアニさんは、写真を撮るということはその「撮る」という“体験”そのものが写真に含まれていて、生成AIが作るものはそれが付随しないただの写真で、そこのところが生身の人間が写真を撮ることの意味だと思う、という回答をされました。

“体験”かぁ…

これをきいて、『カメラは撮る人を写しているんだ』という本のタイトルに帰っていくような感覚を抱きながら、自分がやっている俳優業だとどう置き換えられるかな、ということを考えていました。どんな仕事でも、究極を言ってしまうと“人間性”がでるもんです。だから、何を経験しどんなことを思ったのかがすごく大切なんだろうなぁと。特に、表現したりものを作る作業に関わる場合に。

駅に向かう道。奥に見えるHEPの赤い観覧車をぼんやりみながらいろいろ考えた。

ワタナベアニさん、今野さん、イベント運営をされたスタートアップカフェ大阪の関係者の皆さま、素敵な時間をありがとうございました。

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