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【劇場版ポケモン感想】神速のゲノセクト_ミュウツー覚醒

どうした急になぜ今って感じの表題ですが。

ポケモン映画への感想を出力していこうのコーナーです。


過去に個人ブログに載せていた文章を再利用しようのコーナーとも言います。
ポケモンというコンテンツ、ポケモン映画というかつての夏の恒例イベント、それらへの煮凝った感情を吐き出しています。
 
ちなみに書いている人はミュウツーの逆襲に脳を焼かれています。
逆襲完全版TV初見勢、誕生ドラマCD履修済、我ハココニ在リも大好きです。逆襲ツーとミュウとの関係性のことを考えていると時間を忘れます。
初期の首藤脚本3部作は不動の殿堂入り、それ以降は好みによってうーん…な作品もあります。
解釈が偏っていたり、他の人の感想を見て自分の感想だと思い込んでしまっていたりする部分もありますが、いち懐古厨の強火めな思いの排泄だと思っていただけたら幸いです。

第1回目はいきなりベストウィッシュ最終作『神速のゲノセクト ミュウツー覚醒』です。
書いた当時も公開からけっこう経っていたけど、思うがままにそこからスタートしたのでそのままの順番でサルベージしています。

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まずは短編のイーブイフレンズから。


このですね、ブイフレを覚醒の前座に据えてるこの構成がですね、非常に巧妙なんですよこの年の劇場版。
こんな短編なんて、深いテーマ性なんてまず皆無で、ただただゆるゆる平和でポケモンがかわいいだけのお子様向け尺稼ぎだろー…とか思うじゃないですか。
それがどっこい、このブイフレは覚醒本編の前振りとしてがっつり機能しまくりなんですよ。
 
話としてはどシンプルで、大人気イーブイ一家にニューフェイスのニンフィアたんが追加となったよ!
記念にブイズとピカチュウたちメインポケがワイワイお泊り会をするよ!
ってただそれだけなんですね。
 
ここでしれっと描かれるブイズたち「家族」、
そこへ「歓迎され招かれるお客」のピカチュウたち、
皆で集い、客を招いて楽しく過ごすイーブイたちの「住処(おうち)」。
ゴチルゼルたちとの不穏な出会いにあわや敵対か、と思いきやサプライズゲストだった、いい子だったという平和なオチ。
宇宙をめぐるりゅうせいぐんに、星を旅する船に皆で乗り込んだような特別な夜。
そしてエンディングはエビ中の『手をつなごう』。
ブイズたちがニンフィアのむすびつきリボンの樹の上で「手」(前足)をつなぎあう。
 
なんてことない短編に見えるブイフレなんですけど、これって全部この後の本編とリンクしているんですよね。
 
エンディングでこれでもかと繰り返させるフレーズ「手をつなごう」。
 
これってブイフレのEDであると同時に、ゲノセクト本編のOPでもあり、そしてメインテーマでもあるんじゃないかなと。
 
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『神速のゲノセクト ミュウツー覚醒』本編に移って。


 
本編中わりと意図的に何度も繰り返し用いられる、
「相手に手を差し伸べる」演出。
アクアカセットを助けるために赤ゲノが掴む手(指がないので腕組み)、
戸惑いさまようゲノセクトたちに高島ツーが差し伸べる手、それを振り払う赤ゲノ。
池に落っこちそうになるサトシに今度はアクアカセットが伸ばす手、それをためらわず掴むサトシ。
戦闘中落下するツーを掴むサトシ。
最後は再び差し伸べられたツーの手を、おずおずと取る赤。
 
みんな手をつなごう。
ブイフレ短編からの覚醒本編、ここの流れはすごく意図的に組んであると思うんですよねやっぱり
 
ブイフレは、当たり前のように家族全員で暮らす居場所、おうちがあって、そのうえでピカチュウたちという他者を招いて受け入れみんなで仲良くする、という理想なユートピアのお話で。
知らないだれかとも手をつなごう!
からの、本編で描かれる、帰る場所のないゲノセクトたち、家族のいないミュウツー、住処を追われ逃げ惑うポケモンたち、受け入れがたい他者への攻撃、わかりあえないもどかしさ。ままならない現実。
この構成そのものがまさにベストウィッシュ、BWつまりブラックホワイトの体現する「理想と真実」そのものなんじゃないかなって。
 
この作品は明確に悪者キャラというものが出てこなくて、ある意味みんな優しいんですよね。
自分にとって大事なものを守ろうとしているだけなのに、それが巡り巡って敵対を生み、争いになってしまう。
まあ主に赤ゲノが他人の話ろくに聞かないのが原因なんだけど。
自分とその仲間内だけの小さな○(マル)で閉じてしまえば、それを侵す迷惑な異物は「いらない」、だから排除するほかない。
でも本当は宇宙から見れば地球はひとつの大きな○で、すべての生き物は同じその内側にあって、
きっと「いらないポケモンなんていない」のだと。だから歩み寄ろう、手をつなごう、という。
実際に地球を外から見ないと、そこまでしないと赤には通じなかった。だからツーはわざわざ成層圏を突破したんだ。
 
 
結局はキッズ向け映画としてぬるやかなハッピーエンドは用意されている。だけど本当にゲノセクトたちが帰るべき故郷を失っていたら?
ヒルズを奪ってそれでよしとして、それに対してヒルズのポケモンたちが反撃して、争いが終わらない血で血を洗うものになったら?
この結末はあくまで「これはポケモン映画だから」と与えられたサービスのようなもので、実際はそんなハッピーエンドにとてもならないことばかりが今この世界のあちこちでおこっている。
そんなどうしようもない現実に、だからこそ理想を掲げるのがこの短編と本編をつなぐ『手をつなごう』なのだと思います。
 
行ってしまえば子供じみた理想論、綺麗事。
だけどそれをまっすぐに言えるのが子供向けアニメ映画でありポケモンという作品なのだと思う。
手をつなぐにはどちらかがてのひらを相手に伸ばす必要があって、それは一度ははねのけられてしまうかもしれないけれど、でもきっと最後には握り返してもらえるはずなんだと。
 
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ミュウツーというポケモンについて。


逆襲ツーが「私は誰だ」と自らの存在を問う者、迷う者であったとするなら、
覚醒ツーは自らの居場所を見つけ、他者に対して祈る者、導く者であるなあと。
メガるときのポーズは祈りに似ている。
 
このツーは逆襲のような、自分はコピーであり本物ではない、というような偽物感覚はあまりなくて、あくまで世界にぽっと出で生み出された人工物の自分に居場所はあるのか?というスタンスなのかなと。
オリジンであるミュウのことはあまり気にしていない様子でしたね。ここは逆襲ツーと始原のミュウという関係性の唯一絶対感を崩さずにいてくれて個人的には嬉しかったです。(唐突に別個体をお出しされた波導ミュウのことはまだ若干許しきれていない)
 
超えられないもの(サカキからの支配、オリジナルであるミュウ)に抗うため力を使う逆襲ツーと、他者を守り導くためにその力を使う覚醒ツーの対比。
それが公開前に監督がインタビューで言ってた(ような気がする)「ツーの成長」なのかなと。
別個体なんだけど、ツーはもうワンではないことからの呪縛から抜け出したんだよ、他人にやさしくできるほどに大人になったんだよってことかなあと。
覚醒ツーは、周りのすべてが敵に見えるような、そんな同じ境遇のゲノセクトの気持ちがよく解る、だからこそ助けてあげたいという慈愛のひと。
そういう意味では、この作品を通じてミュウツーというポケモンを、己のことに苦悩するだけではない、ひとつ成長したイメージをもつものに広げたのだと思います。
まあ覚醒ツーもあまりの赤のわからんちんぷりに堪えかねてついに一旦ことばでの説得を諦めて強硬手段に出るんですけど。
 
初代元祖人工遺伝子改造ポケモンであるツーと、最新作で同じ境遇である幻ポケモンのゲノセクトという関係性を絡めてのマッチアップだったのはもちろんですが
ヒルズという都会の真ん中にいわば人工的に自然を、居場所を作られたポケモンたち、との類似性も実はあったと思います。
もともとポケモン的には生息地の限られている「都会のど真ん中」という場面設定が、ゲノセクトたちとの住処というリソースの奪い合いを招いたってのはあるよねと。
広々と自然豊かなところ(それこそアルサスのような)ならここまでこじれなかったかもしれない。
それは逆襲の、某別ジャンルのテーマ曲のフレーズを借りれば「ひとつぶんの陽だまり」を奪い合ったような、あの本物とコピーとの闘いと重なる。
 
あと今回個人的に評価が高いポイントとして、ミュウツーと「水中」の描写が重視されているところがありますね。
逆襲ツーが生まれる前にみていた水中の夢、いきものの胎内の根源的なイメージ、人工のガラス管の溶液に浮かぶ幼ツー、そしておとなになって我ココでのクリア湖での再生と、ミュウツーというポケモンにとって水中にいることはとても重要な意味をもって描かれていたものだったと思うのです。
覚醒ツーでもその点を意識して、アニメ「序章」での洞窟湖での回復シーンや、最後に地上に落ちてきたツーを水球で受け止めるなど、積極的にオマージュしていたのが嬉しかった。
そしてオルタスの花というキーアイテムを使うことで、水という要素を無理なく前面に押し出しつつ、アクアカセットにとっての故郷を象徴する(そしてわかりやすく伏線の役割を果たす)ことに成功しているという。構成がすごい。
 
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この映画、ネットの一般感想サイト的なところの評価は割と低かった気がします。
低評価をつける人の気持ちも正直よくわかるんです。
この作品は
・ミュウツーというポケモンに強い思い入れがある
・逆襲から15年たった時点で公式がいかに逆襲との差異をつけてくるのか、どのようなオマージュを見せてくれるかを楽しみたい
・つくりだされた命の苦悩、というテーマにぐっとくる
・自分の居場所はどこにあるのか、自分とは異なる他者とともにこの世界で生きることとは、みたいな主題がブッスリ刺さる
等のポイントを押さえた人がその要素に萌える分にはすごく満足度が高いんだけど、それこそ上記のように解釈の範囲を超えて萌語りが膨らむばかりなんだけど、
そうでない人が「普通にサトシとピカチュウとポケモンたちの大冒険!が見たいなー」くらいの気持ちで見ると、なんかツーとかゲノとか知らないポケモンたちばかりがガチャガチャバトルしたり飛び回ったりであんまりおもしろくない…?となるんですよね。
あとアイリスとデントが空気気味で、ベストウィッシュのファン的には物足りないと思う。それはよくわかる。
けっこう逆襲と重なるシーンやモチーフが多くて、そういうメタ気味な楽しみ方をしたいかどうかで感想は全然変わってくるよなあと。
 
でもけっこう作劇は丁寧というか、細かなところにもちゃんと気が配られていたと思うんですよね。
モブの人間やポケモンたちの描写がなんというか立体的で、たとえばエリックさんとジョーイさんの長年付き合いがあって親しげな感じとか、工事現場の親方たちの社会の片隅でまじめに働く大人感とかがたまらない。街をつくる人たちの営みを描いて、都会を、人間を安易に自然賛歌のダシに否定して終わりにはしないところ、好感度が高い。
 
ポケモンの描写では圧倒的にオーダイルの兄貴が最高でしたね。漢気が。もう。いや性別わかんないけど。
序盤、見たこともないおっかない侵略者であるゲノセクト複数体を相手に抗戦を挑むのがまず最高に勇ましいし、返り討ちにされても立ち向かう根性がすごいし、そうして敵対した相手でも事情がわかっていざピンチとなればためらわず助ける気風の良さ!
火を消すシーンでミジュマルの隣にドシンと立って不敵にニヤリ、のところ、あまりにかっこよすぎて毎回涙腺がパーンってなる。
ペルシアンの姉御(性別わかんないけど)も最高でした。ポケモン映画でモブのみんなと力を合わせて何かを守る、みたいな描写に基本的にものすごく弱い。
弱い子も自分の能力で今できることを精いっぱいやる、みたいなのに涙腺がキュッと開く。
 
まあ最初のサトシ一行の自己紹介で、エリックの背中に向かってしゃべっていたり(いやまあメタ的には視聴者に向かって言ってるんだろうけど)、ぼっちコミュ症ヤミラミがサトシに悪気なく軽く扱われる感じが見ていて心えぐられるとか、若干「ん?」と思う点もなくはないのですが。
ポケモンの動きはわりと細やかであったかと。赤ゲノたちと争って花が散ってしまうのをアクアカセットが止めようとして、ヘルガーに敵と思われて攻撃されてしまうところとかすごく。
 
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それにしてもアクアカセットのかわいさときたら本当に…どのブイズよりもあざとくていかんですね。
諸星すみれちゃんの演技力マジパない。
 
厳めし渋い市村ボイスのイメージが強いミュウツー役に女性を抜擢したり、メカメカ男児向けなデザインのゲノセクトを幼女にしたり、ゲストのエリックさんが違和感のないクオリティだったり、キャスティングが光る一作だと思います。
市村ツー至高主義ですが高島ツーは高島ツーで別物として好きです。
 
ツーのデザインはまあ好みが分かれるかな…でもそもそもサトシも昔とデザイン違うしな…!
ゲノセクトとの神速バトルはかっこいいです。特に後半の肉弾戦が激しくて燃える。
 
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当時の文章があまりにクチャクチャだったので多少整えたけど、まーー読みづらいですね。
自分が思っていることが自分にとっては自明すぎて、他の人が読んだときどこまで意味が通るのかわかんないんですよね。
雰囲気でなんとなく、めんどくさい逆襲脳懐古厨の思いを感じ取っていただけたらと。

こんな調子の文章が、あと何作品分かストックあるので、またそのうちUPしようと思います。


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