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写真が好きなら「カメラ嫌い」になれ

いつも見て頂きありがとうございます。

さて、今回はカメラのお話を書いてみます。
noteやSNSなどを見ていると、いつも感心してしまうのですがカメラの話題ってとても多いですよね。
みなさんカメラお好きなのですね。

タイトルに「写真が好きならカメラ嫌いになれ」と大胆に書いてしまいましたが少し大げさでした。ごめんなさい。
別に嫌いになる必要はありません。
カメラに対する関心度を下げようという意味です。

カメラに対する関心度を下げよう。
特に日本という国は世界に名だたるカメラメーカーのお膝元であるのか、お国柄なのか分かりませんが、【写真】と【カメラ】の両者の認識が混沌として皆さんカメラに意識が向きすぎです。

まずは写真は表現、カメラは道具とし関心を向ける意識量の割合を写真の側に比重をおくのです。

そもそも、なぜ多くの人はカメラカメラ、レンズレンズ、になるのでしょう。
これには根深い社会の闇が関わっています。
例えばマクドナルドについ行ってしまうとか、何となく煙草を吸うようになったとか、栄養ドリンクや風邪薬に頼ってしまうとか・・・

まだまだ在りますが、とにかく強大な企業という組織がビジネスを行うのに【イメージ戦略】という印象操作を用いて大衆をコントロールしているのです。そして消費者に事実と乖離した思い込みを刷り込むのです。

誰だって自らの手で憧れの「いい写真」を撮りたいですよね。
でもいい写真を撮るのはカメラではなく人です。

そんな簡単なこと誰でも分かっているのに…

【そのカメラを買えばアナタもいい写真が撮れます!】と連想させるイメージ広告を打ち、消費者の心理につけこんで洗脳していくのです。

私は写真を愛する一個人とは一人の作家としての自信をもち、想像が創造を生み出す個人的表現者であるべきと考えています。

【想像が創造を生む】

これって多くの日本人が苦手なことなのかもしれません。

何もない白紙の状態に自分だけのオリジナルを生み出すのは大変なことです。
どこかにヒントやお手本を探したくなるのが自然な心理です。
しかし「これが正解だ!」という刷り込みが浸透しきっている日本の写真文化には「一人の作家として堂々と表現しろ」とは、なかなか厳しいものがあります。

この【お手本探し】が過剰になるとどうなるか?

思考するとか想像するとかは脳の労働なので、なかなかエネルギーを使うものです。だからつい「これは面倒くさい」「Googleで調べて正解を探そう」「他の人はどうしているのだ?」と自身の脳の労働は怠けて自分の外に依存してしまう。

そしてそれが常態化し思考の怠け癖がついている。

メーカーは消費者の多くは思考の怠け者であることを心得ていて、彼らに商品を買ってもらうため、あの手この手で商品を開発するのです。企業であるからには利益至上主義なので当然といえば当然ですよね。

「お客様は楽がしたいのですよね?お任せください、当社の新製品はすべてカメラにお任せでイイ写真を撮ってくれます!あなたはシャッターボタンを押すだけです」

さらに言ってしまうと「お客様は芸術的な才能や知識のない凡人でいらっしゃいますよね。でもご安心ください!当社の新製品がお客様の無能さを全てフォローいたします」

「少々お高いですが次のボーナスでぜひご購入していただき、撮った写真に撮影機材名を添え、SNSで発表してご自慢くださいませ。高くて立派なカメラを所有するのはステイタスでございます」

といった感じなのです。
分かりやすいように露骨な表現としていますが、よく見かける「圧倒的な表現力」とか「イメージのままに」なんていうキャッチは上記のようなことを間接的に言っているのです。

・・・騙さてはいけません。

最新型のカメラや高級なレンズを買ったところで、憧れのいい写真が必ず実現できる保証などないのです。

自分が憧れるいい写真とは何であるか?
その写真を空想して心のストレージに仕舞っておきましょう。
いつか必ず叶います。

そしてその写真を実現するために、今もっているカメラでは撮るのが厳しいのか?と自問してみてください。

あくまで自分らしいいい写真を撮るために信頼できる大切な道具がカメラです。
常に最新型に買い替えるのも自由ですが、経済的に無理をしてまでやることではありません。

とは言え買い替えのタイミングというのはあるものです。

カメラなら何でもいいという訳ではありません。

次に私がカメラを買うときに大事にしていることを箇条書きにしてみます。

1.絞りやシャッター速度など露出に関わるダイアル類の大きさ、レイアウトが良好で直感的に操作できる。マニュアルフォーカス時にリングが操作しやすい。といった操作性が自分の手に合っていること。

2.手に持って構えたとき、グリップが手に良く馴染み、シャッターボタンが押しやすく、全体はホールドしやすい形状であること。

3.重さ、大きさが写真活動を制限しないほどよいボリュームであること

4.手にもって楽しい気分になる頼もしい道具であると感じるか?

5.いざというとき故障などしない信頼性と、長旅で心強いバッテリーの持続時間。

といった感じです。よく多くの方が気にされるセンサーの画素数ですが、個展などを開催する際にA2サイズ以上でパネルかプリント額装される場合は3000万画素くらいあると安心です。そのような予定の無い方にとって画素数は問題ではありません。

そして私の場合のカメラ選びの基準として外せないのは光学ファインダーを有した一眼レフであるということです。

私はいつも「そこに在る美しい光の粒子達を探す旅」をします。
旅で出会った一期一会のシーンには必ず光たちの働きによる美しい演出があるのです。その様子を見逃すことなく一瞬をとらえるには光学ファインダーのカメラが必要なのです。

最後に付け加えておきますがカメラ趣味を否定する意味で書いた記事ではありません。私も最初は「カメラ」に興味をもって写真をはじめた人間です。いいカメラは確かに魅力的です。ライカも欲しいです。
ただカメラ趣味は足が動かなくなった老後の楽しみとしてとっておこうと思います。

写真という表現とカメラ趣味を区別しましょう!という記事でした。

読んでいただき感謝です。

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