いい写真の正体
さて、毎度の前置きですが今回も写真家である私が
写真家として在り続けるための自分用の書き出しでございます。
お暇な方はチラっと見ていただけると少しだけ面白いかも。
今回は短めです。
お題は写真を愛する人の共通のテーマであるいい写真について、【いい写真の正体】でございます。
いい写真というヤツを自分の外に探してもどこにもない
いい写真はいつでも撮った人の心の中
そして作品を見た人の心の中
私は常々そう思っています
ところが多くの人は自分の外に「いい写真」の正解を探し
誰かの生み出した手堅い表現をトレースしている
権威ある第三者(例えば写真コンテストの審査員)のお墨付き、SNSのフォロワーなどからの承認を求めてしまう。他人に依存して正解を探しを繰り返す…すこし寂しいですね。
~本当はこう在りたい~
「自分の場合はこうです」という堂々としたオリジナルを生み出す!
【想像から創造する】がいちばん楽しい!!!
楽しいは夢中になれる
夢中でやっている人が奇跡を起こせる!
だから楽しめていないと本当に自分が望んでいるものが実現しない
この正解探しの呪縛から解放されない限り、いつまでも楽しめません
写真ビギナーなら正解探しも結構ですが、ベテランの皆さんはそろそろ自分の才能を信じてあげるときでは?
自分の中の才能を覚醒させましょう。
そしてとことん楽しみ夢中になるのです。
いい写真も そうではない写真も
そもそもないのだ
少々、話が飛躍するけど写真というものを再考してみよう
写真とはカメラという不思議な機械を用いて
現実世界の光を集めて
目の前の様子を静止画として記録するもの
撮った瞬間からその画はもう【過去】の記録
それが写真だ
そう、あくまで現実の様子を切り取った画だ。
イラストやCGのような空想ではない
だから一枚の写真とは「こうだったよ」と見る側にうったえる。見る側は「そうだったのか」と受け取り、撮る側へ心の動きや見解などを送り返す。この相互関係が【私たちが生きている時空】について論じあっているのだと思う。
主にその内容は光というエネルギー、生命の素晴らしさ、自然の偉大さなどであり、多くの場合でそこに【美】を意識して取り入れる。
少々難解だけどつまり…
写真とは撮影者が生きた時間と空間そのものの記録である
だから写真にいいも悪いも関係なく、表現はただシンプルに「人柄」だけで十分なのではないでしょうか。
その中に大元となる光というエネルギーをどれだけ取り込み、何にどれだけ、どのように光を当て、影を作り、色やバランス、そして存在している事実、それらを受け心のエネルギーがどう振動したかを画で表現し、そこに撮影者なりの美が入っていれば、見た側への感動や共感もひとしおです。
そこまで出来て自分が納得(少なくとも撮影現場で納得いくまで撮り切る)いけば、あなたの生きた証【いい写真】ではないでしょうか。
あるのはだた カメラという光学機器で
ヒトがこの世で みている光景に
生き物、自然、物、エネルギーなどの素粒子達が
光によって明らかにされているだけの様子を
二次元の画に記録して それを過去に葬る
私たち写真家は そんなARTをただ後世に残したいだけ
それ以上でも それ以下でもない…
「いい写真」を探す旅に苦しんでいる写真家に響いてくれれば嬉しいです。
今日もありがとうございました。
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