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「やりがいのある仕事」でなくてもいいよね、という話

今日は、私の仕事に対する意識のお話です。

私は11月から就職しますが、この就職は半分成り行きで決まったようなもので、気持ちが追いつくのにかなり時間を要しました。

仕事に対して積極的にやりがいを求めない選択をしたことに対して、ずっと、罪悪感とか、自責とか、そういう類のものを感じていました。
キャリア関連の記事を読むとこれでよかったのかと不安になるし、胃が痛くなる日々でした。

けれど、数日前、ちょっとした悟りを開いてしまったんです。

まず、前職時代に抱いていた不全感(=やりがいを感じていない感覚)に、「終業時間と週末を待つだけになっているのが嫌だ」というものがありました。
でも、今バイトで全く違う仕事をしていますが、ここでも同じことでした。できればバイトには行きたくないし、お客さん来なければいいのにと思うし、早く終われと思う(賄いが楽しみなのもありますけどね笑)。
だから、仕事自体がやりがいのない仕事だったのではなくて、私の側の問題だなと。
基本的に不安症で怖がりで逃げ腰で及び腰なので、仕事でなにかあるんではないかと怖くて、何かある前に離れたい、何かあるかもしれないからやりたくない、と思うんですね。

で、ここからが悟りなんですけど、
もともと不安の強い私にとって、仕事の場というのは常に人の目があって(=監視されていて)、叱責の危険があって、周囲のスピードに左右される環境であるわけだから、どちらかといえば「危険な場」なんでは?
自分にとって危険な場所でイキイキやりがいもって仕事できるわけなくない??
と思ったわけです。
いろんなことが不安になってしまう私は、そもそも仕事にやりがいをもって邁進するのに不向きな人間なのではないかと。

そもそも原始人にとっての仕事場はすなわち狩の場だったわけだから、仕事というのは元来危険な場所なのでは??

というのはちょっと極論ですけど、そういう風に認めてしまうと少し楽になりました。
私は、やりがいのある仕事をすることから逃げたのではなくて、仕事における危険度を落とせる可能性が高い選択をしたのだ、ということです。

もちろん、仕事があまりにも危険な場であり続けたらそれはそれで問題なので、環境に対して危険と感じる感覚器の方の調整に取り掛かっているところですが、
今は仕事にやりがいをもって邁進する準備ができていない、まだそのフェーズに到達していないのだと思うことにしました。

「自分のやりたいことを大事にしなさい」と言われ続けても、結局やりたいことは見つからないままでしたが、明らかに向いていない環境というのはあります。
今回の選択では、少なくともそこは避けられたのではないかと思っています。

まあ、「やりがい」なんて、心の持ちようが大きいですからね。
「これやってて意味ある?」と思うことも、見方考え方によっては意義を見出すこともできるでしょうし、
そもそも、全ての仕事を「やりがいをもってイキイキ」やるのは、それはそれで疲れないかな、みたいにも思ったりします。

今でも「やりがいをもって働く」系の情報に触れると、本当にこれでよかったの?と、揺れてしまうのは変わらないですけどね。

ま、結局やってみないとわかんないんですけどね!!!
仕事始めたら全然違うこと言ってるかも笑

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