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ひとりっこあるある

穂村弘さんの新刊『迷子手帳』を読んだ。
穂村さんはひとりっこ。過保護なひとりっこだという。

例えば、「コーラは骨が溶けるから飲んではいけない」と禁止されていたとか。
私も、コーラはもちろんポテトチップス、カップラーメンなど食べさせてもらえなかった。
昭和の子供なら誰でも行ったであろう駄菓子屋にも行ったことがない。体に悪いものしか売ってないから行ってはいけないと言われていたから。

あるとき、そんな私を不憫に思ったのか、近所のお姉さんお兄さんたちが麩菓子を食べさせてくれて、その美味しさにびっくりしたものだ。後にも先にも、食べたのはその一度きりだけど。

私がひとりっこなのは、母の出産が文字どおり命がけな難産で、本当にあと一歩で、私は生まれつき母のいない子になるところだったという経験から、父が二度と母を危険な目に合わせたくない、子供は一人でいい、この子一人を大切に育てていくと決断したからだ。

当時は、まだまだ兄弟の多い家庭が一般的で、「ひとりっこはわがまま」という偏見を押し付けられていた。それゆえ、母は、私がひとりっこということで世間から後ろ指をさされないように、必死に鍛えた。逞しく、しっかりした子になるように。

その甲斐あってか、中学に上がった時に、職員室で、私がひとりっこだということが教師の間で話題になったことがある。用事があって職員室に行くと、
「akarikoさん、ひとりっこなんだって?んまーしっかりしてるから、下に五人も六人もいるのかと思ったわー」と言われた。
母の思惑どおりになってよかったのかもしれないが、「ひとりっこはわがまま」という決め付けは、本当に迷惑だ。

私の知る限り、ひとりっこは一人で過ごす時間が長いせいか、何でも一人で決めて、何でも一人でこなす、自立してクールな人が多い。
かつて社宅に住んでいた時に仲良くしていたママ友たちで、サバサバとして裏表のない気持ちのいい性格をしていた人はみんなひとりっこだった。三人ぐらい。

一方で、親の愛情が私ひとりに注がれ、親の関心が私ひとりに向くことの重たさからは、どうにも逃れようがない。
穂村さん曰く、「臆病なのは母親のせいだ」。

穂村さんのお母様は、何でも先回りして、あれは危ない、それはだめ、そんなことはしなくていい、あんなことするもんじゃない・・と、危険や困難を回避する傾向があった。それはよくわかる。私の母もそうだった。
せっかくやろうとか行ってみようとか思っても、「危なくないの?」「大丈夫なの?」と言われ、やる気を削がれるということがよくあった。

穂村さんが、堂々と、ご自分の臆病さを母親のせいにしていることには救われた。
私が心配性なのは、母のせいだ。

それでも、十代最後の冬休みに、一人で五島列島に行きたいと言ったのを認めてくれたのは、少しは私を信用してくれていたのかな。
親戚には、「ひとりで行くなんて怪しい。絶対に男と一緒だ」と言われたらしいけれど、母は意に介さなかった。
失礼な(親戚)。
私は本当に、一人で計画して、一人で準備して、一人で行動した。
危ない目にもあったけれど(長崎びいどろのお店の店主に、「海岸へは行った?行ってないなら、見ておくといいよ。お店終わったら、車で連れていってあげる」と言われたが、当然断った。あとで長崎の友人に聞いたら、「あんなところ、夜行っても、何も見えないよ」と言われた。怖。)東京からはなかなか行けないであろう福江島に渡り、美味しいお刺身と透き通る海を堪能して、一生の思い出にすることができた。

ひとりっこは、一人でいるのが好きだし、単独行動が得意だ。
だから協調性がないとか、わがままだとか言われるのかもしれないが、一人で行動できることとわがままは別問題。わがままな人は、兄弟の有無に関わらずいる。
そんなひとりっこへの偏見は、今もあるのかな?

いずれにせよ、穂村さんが「自分が臆病なのは母親のせいだ」と言ってくれて、仲間を見つけたようで嬉しいのである。

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