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父を送る

2023年1月5日。
年末の友引に年始休みが続き、火葬場が混んでいて、本日ようやく父を送ることができました。
昨年12月26日に息を引き取ってから、約10日、この世に父の肉体が存在していたことがとても温かく心強く感じられた日々でした。
そして、その間に、父を送る心構えもできたような気がします。

葬儀は母と私の家族のみ。
直葬というのでしょうか、父の強い希望で、通夜も告別式もなし。
とはいえ、父が契約していたセレモニーホールの新しくなったばかりのとても明るく綺麗な部屋で、ゆっくりお別れすることができました。
飾られている花のセンスもとてもよく、義父母の葬儀に数百万かかったことを思い出すと、ああこれで十分だな・・と私は思いました。
何しろ、人に気を遣う必要がない。
父とだけ対面して、父にだけ語りかけ、時間が来るまで家族と静かに過ごすことができる。
オプションで棺に入れる花だけを追加し、とても華やかに美しく父を送ることができました。

火葬場に着くと、すぐ炉に入れられてしまうので、やはり葬儀場でのお別れの時間は必要だと思いました。
つい先日、「葬儀にお金をかける時代ではありません」という火葬場の広告が入ってきて、直葬で数万円となっていたのですが、それはもう本当に、火葬場に運んで炉に入れるだけなのでしょう。
父のように自宅で家族に看取られ、その後も、二晩、住み慣れた家に安置され、家族がゆっくりそばにいる時間が取れるようなケースならまだしも、病院や施設から直接運ばれるような場合は、あまりにあっけなく、悔いが残ってしまう気がします。

父の骨は94歳とは思えぬほどしっかりしたものでした。
父の心臓を最後まで守ってくれたペースメーカーも見ることができました。
大腿骨骨折の後、父の足を守ってくれたプレートも。
ありがとう。
ありがとう。

あまりに立派なお骨で、骨壷におさまるの?とちょっと心配しましたが大丈夫でした。
綺麗になって家に戻ってきました。

まるでこうなることがわかっていたかのように、12月中旬に、私がローズファームケイジさんに注文していた薔薇も供え、これからは毎日会いに行けます。
遺影の父はちょっと若くて(6年前に用意したものだそう)、もう少しおじいさんになっていた方がいいかな・・なんて思いますが、同時に、米寿になっても若々しかったんだなあと思いました。
重度の難聴者でありながら、経理のプロとして、70歳過ぎても、あちらこちらから来てくれ来てくれと呼ばれ、まだまだ仕事はあったのに、もう休ませてくれと引退しました。
80歳までスキーをし、90歳になっても自分でキッチンに立ってパスタを作っていました。
私たち家族が行くと、生地から作ったピザを焼いてくれました。
衰えが目立つようになったのは、ここ1年ぐらいのことです。
「100歳まで生きるような気がする」と言っていたのになあ。

最後の最後まで、立派な父でした。

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