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秋〜年末

この日から登校すると言った当日、朝から布団に包まって、起き上がらない。行けそうかどうか?確認すると「無理」と言われる。
夫へ連絡、「出来るところまでは行くように伝えて」と返信が来る。長男に伝えると、「学校の近くの信号までなら行ける」と言い、次男も連れて3人で家から出てそこまで歩き、家に戻った。
その後次男を保育園へ登園させ、車で号泣した。
私自身も親に「学校に行く」と言っていけない時があった。行こうという気持ちは嘘じゃない、けど恐怖心が上回り、玄関で固まって動けなかった。
同じ気持ちを経験したことがあるのに、泣いた。
長男は、家から出て学校の近くまで行ったのは、頑張ったんだと思う。そこに目を向けられなかった。

数日後、空手で組手の大会があった。
「試合前に練習しよう」と夫がミットを出すが、「人に見られるのが恥ずかしい」と嫌がり、練習をしなかった。
試合は敗北。落ち込んでる姿を見て、夫が「向いてないのに、強くなってほしいからと無理やり続けさせていた。本人が嫌なら、空手はもうやめよう」と少し涙ぐみながら言った。私も同感だった。
本人に空手どうするか?聞くと「辞めたい」と言われ、退会すると決めた。

再登校と空手の件を支援センターの相談員へ話す。支援センターの教室を利用をしたいと伝えるが、毎日通える状態ではないこと、学校復帰を前提としていることを理由に断られる。
“じゃあこの先どうすればいいの…!?”と気持ちがボロボロになり、完全不登校になってから一番しんどかった。
同じ頃、修学旅行もあったが、長男は参加しなかった。

我が家は、夫が仕事で、1年の3分の1は平日ワンオペになるが、その時期に入り、毎日の日課をウォーキングから夕食の手伝いに切り替える。
長男は最初は恐る恐る包丁を使っていたが、料理に興味が出たのか「マキシマムというスパイス買ってきて」と言った。私としても、長男が手伝いをしてくれるのは、かなり助かった。

フリースペースとフリースクールの見学に私一人で行く。今までの流れを話し、自分自身の気持ちを話して、心が落ちついた。
フリースペースでは、親の会など新しい情報を得ることができた。フリースクールは料金が高く、毎日通うのは厳しいとも思った。
また、不登校関連のオプチャでスクールソーシャルワーカー(SSW)の存在を知る。

冬休み前、個人面談があった。
SSWとの連携を依頼した。
担任から支援級、別室、オンライン授業の提案をされ、涙が出そうなぐらい嬉しかった。
帰宅後、長男に伝えたが、全部嫌だと断る。
冬休みに入ってしばらくすると「冬休み明けから登校する」と言った。

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