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小学校入学〜5年生

小学生になったが、特に嫌がることもなく、学校・学童に通っていた。
縄跳びの授業があり、縄跳びが出来ないからと、学校を行き渋るようになる。遅刻で学校に行ったりして、何とか登校する。
苦手な縄跳びもできるようになり、苦手なことを乗り越えたと思ってた。

小1の終わり頃から、休み明けは朝起きれず、遅刻や欠席をするようになる。
休日の翌々日は登校したので、これぐらいは仕方ないと思って、先生に「月曜や連休明けは遅刻や欠席が多いです」と伝え、暗黙の了解になった感じだった。

2年生になり、夏休みの宿題を終わらせてなかった。それを気にして、休み明け前日は夜遅くまで、当日は早起きして、半分泣きながら宿題を終わらせる。

しばらくして次男が生まれる。
長女が産まれた時のように、抱っこしたりミルクを飲ませたりして、お世話をしてくれた。

保育園の頃を話すことがあり、「あの頃は死にたいと思っていた」と聞き、心苦しく、申し訳なくなった。自分自身の都合で息子を苦しめてしまったと思う。

2年生の終わりにコロナの一斉休校になる。そのタイミングで学童を辞める。

3年生になり、一斉休校の後のオンライン授業は、毎日登校しないでもいい&少人数で、長男にはそのスタイルが合っているようだった。通常のスタイルに戻ってからは、朝に、頭痛や腹痛を訴えることが増える。

4年生になり、運動会前に怪我をして、運動会に不参加、それから学校に行けない日が続いた。
休んだ日は、ニンテンドーDSがあったが、ゲームは禁止、プリントを日課にした。

初めてスクールカウンセラー(SC)に相談をする。SCと長男の相談があるからということで、休み始めて2週間後、相談室に登校した。それからは相談室登校が続き、安心した。

SCに朝に頭痛や腹痛を訴えることがあるが、どうすればいいか?と相談する(自分自身の不登校時に身体症状が無く、どう対応していいか分からなかった)。「あまり考えず、登校させてください」と言われた。
4年生の終わり頃、相談室は他の生徒の利用もあり、別室を用意したので、そこで過ごすようにと担任からお願いされる。
同じ頃、心身ともに強くなれるかもという期待から、空手の習い事に通わせ始める。

5年生に進級し、教室で1日を過ごすことができた。しかし、そのタイミングで弟がコロナ感染し、長男もコロナに感染。隔離期間満了がGWの時期で、休み明けからは、再度別室登校になる。

年度が変わり、SCも担当者が替わり、4年生の時に相談した頭痛や腹痛を訴えた時の対応について、再度聞いてみる。「頭痛・腹痛を訴えている時は、本人もギリギリの状態なので、休ませるようにしてください」と言われた。SCによっても対応が異なると感じた。

担任から連絡が来ることは少なく、こちらもあまり連絡しなかった。
長男は別室では、「先生は朝に顔を出して、それから放置されている」と言い、少し不満に思っているようだった。
授業参観に行くと、別室は押入れを少し広くした場所に暖簾がかかり、机が置かれていた。プリントを一人で取り組んでいて、休憩時間には友達が数人遊びにきていた。

SC経由で、学校での様子を聞くことが多かった。体育や音楽はクラスメイトと授業を受けていると聞く。最初は午前中に登校し、2時間目終了後に帰ることが多かったが、できれば給食まで食べて帰れるようになってほしいと伝え、しばらくして給食まで食べてから帰れるようになった。

「6年生の途中から教室に入れるようになり、中学生になれたらいいかなと思います」とSCに私の考えを伝えた。

空手で組手の大会があったが、1回戦で負ける。その頃あたりから、空手に通うのを行き渋るようになる。

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