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ただ美しいものの価値

昨年から今年に入って一番の変化は
価値観と志向が変わったこと。

一言で言ったら、ただ美しいだけとか、
ただ楽しいだけ、といった
ムダなものを大事にしようと心から思えるようになった。

呪いと祝いは紙一重。
何かめんどくさい、重い、恐ろしいものの中に
本当に価値のある何かが隠れている。

昨年末にメルカリにハマって
それまで積ん読だった書籍を売ったお金で着物を買った。

これが楽しい♥️

すっかり忘れていたけど
私には骨董市でかなりの着物を
買い集めていた時期がある。

ちょうど上海に住んでいた頃だった。
気候も人の気持ちも遥かにドライな土地柄に
解放されたはずなのに何かに渇いていて
「日本」を感じさせるものがやたらと恋しい時期だった。

日本の食材も雑誌も驚くほど高価でしょっちゅうは買いたくない。
そういえば昔、おつきあいでいった骨董市で
なんとなく買った銘仙があったはず、と
クローゼットから久しぶりに取り出してみたら
赤と紫の色合いの鮮やかさが目にしみた。

生地が硬くて少しカビ臭い。

着れなくはないかな、と羽織ってみていたら
横で見ていた当時幼稚園だった長男が
「わぁ、お母さんかわいいね❤️」と
めずらしくニコニコしながら抱きついてくれたのだった。

そんなシアワセな思い出があるもんだから
着物をみるとつい夢中になってしまう。 

買った着物を
たたみじわと匂いを取る目的で
家の中につるしていたら

着物特有のなんともいえない
艶やかで豊かな波動が伝わってきた。

おそらく昭和初期のこの着物が作られていた頃
日本は今ほど豊かではなくて
生活に困るどころか、ただ生きるだけでも
大変な思いをしていた人が大半だっただろう。

毎日の生活には辛いことの方がずっと多かったはずなのに
そこから生み出される着物の、
この豊かさはなんなのだろう。

ものをつくること、
何か美しいものを作り出すことは
人にとって根源的な欲求のようだ。

貧しくても、つらくても
己の心まで渇いたものにはさせまい。

少なくともその着物に向かい合っている間、
豊かさや暖かさ、何か本当に美しいものに
ふれる機会はあるのだから。

ふだん便利で快適な生活に慣れてしまって
そんな心意気も忘れてしまいそうな私には
見ているだけでも癒しになる。

着物は怖い、とよく言われる。
「骨董市なんかで着物を買って、
何かに締め殺される夢、みたりしない?」と
聞かれたことがある。

手をかけ想いをかけ、大事に手入れして使うからこそ、
他人にはやすやすとは渡せないし
粗末に扱われた時の無念は強い。

亡くなってなお、化けて出るほどの想いをかけてしまう、
人を引き寄せる磁力が着物にはあるのだ。

呪いと祝いは、紙一重だ。

かつてそれほどまで
日本女性を魅了し続けてきた着物が
面倒くさい、手間のかかる、特別だけれど
重いものになってしまったのも
きっとそのあたりの事情なのだろう。

それでも、私はそんな面倒くささに辟易しながらも
やはり惹かれてしまう女だ。
執着やエゴも込みでそうした営みを
可愛くて愛おしいと感じてしまう。

着物だけじゃなく
私にとってはこのNoteもそんな場所になるといい

今年はそんな思いで
このNoteを書いていくことにしました。

今年も、どうぞよろしく












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