あきらめるとは重い思いを手放すこと
あきらめるということに抵抗を感じていたりしませんか?
わたしもずっとそうでした。
例えば紅蓮色の遠距離恋愛、
その他の妄想や夢も、
ずっと「そろそろあきらめろ」とか
「人間、あきらめが肝心」とも言われてきました。
一方、最後まであきらめるな、とか、
あきらめたらそこで終わり、という言葉があります。
実はその「あきらめる」という言葉そのものがが
呪縛であり、思考を縛っている気もします。
でもそもそもあきらめるとは行動的にはどうなのか、
それは思い切ることであり、手離すことであり、
つまりは思いから解放されるということです。
それなのに愛着や執着が「あきらめる」という言葉に
ネガティブな意味を持たせてしまったようにも思うのです。
そもそも愛着があれば、あきらめるなんて言葉、
思い浮かばないでしょう。
でも、それが執着だとしたら、
頑張り続けても、どんどん苦しくなっていくだけ。
逆を言えば、執着や固執を手放すことが出来れば、
この重い思いから解放されるはず。
だから、不必要な「あきらめないこと」はさっさとあきらめてください。
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