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【投機の流儀 セレクション】東京五輪は成功だったのか失敗だったのか

この問題については本当は事後に真剣に議論すべきだ。五輪はアスリートのために行うわけではない。その建て前はスポーツマンシップを通しての国際親善である。それが果たせたのか、それとも新型コロナウイルスが広がるリスク拡大があったのか、この二つを天秤にかけて議論することはマスメディアも評論家もしていない。国民に感動を与えた場面だけをマスメディアは報道するし、またリスクの面だけを強調して報道する。IOC国際オリンピック委員会に引きずり込まれるような形で筆者が以前から言っていたように「第二次大戦と同様に誰もがやってはいけないと思っていながら結局は始めてしまう」という形で始めてしまった。開催して良かった、どちらかと言えば良かったと思う人が61%だったという(JNNの世論調査)。もしもメダル獲得数が予想以上に少なかったら五輪はコロナ第5波の主因として失敗だったと烙印を押されたかもしれない。この辺は情緒的な面があってメディアは論理的ではなかった。日本のメディアの中にはゼロリスク信奉者が存在する。ゼロリスクは「安心・安全」と菅首相によって言い換えられていたが同じことだ。

これを福島第一原発に例えて考えたい。ここから先は過去を振り返っての反省ではなく近い未来のことだ。「放射線は年間1ミリシーベルトでもダメだ」と主張する人は多いし自然放射線の2.1ミリシーベルトよりも少ないからいいのだ」と言う人も多い。リスクゼロというのは一つ信念であり宗教であり論理的な検証ではない。信者や宗教には論理はない。標準というものがない。
東京五輪を7割が「やらない方がいい、どちらかと言えばやらない方がいい」でありながら結果的にはズルズルと引き込まれてやることになってしまった。この決定の仕方は菅首相に対する大きなマイナスイメージになった。ゼロリスクという考え方は信仰や宗教であって理論ではない。言ってみれば一種の情緒的なものなのだ。
原発の問題も同様である。これは原発をするためにはウランを保有しなければいけない。ウランを保有すれば核兵器をつくることが可能である。日本は核兵器をつくるための技術も金も資格もある、よって核兵器をつくる危険がある、という議論にすり替わる。原発問題は「経済的価値」と「安全という社会的価値」の両方を含んでいる。ところが「経済的価値」と「社会的価値」 を両者ともに解決することは難しい。例えば、福島の津波は「想定外であるが発生した場合には非常に大きい」という所謂「テイルリスク」というのとは違う。想定内であった。吉村昭(★註)が「東北沖津波」で江戸時代以降の三陸沖に押し寄せる世界的に巨大な津波の本は何十年も前から出版されていた。書いてある事実は克明に史実を調べて述べているから史書とも読める。これを読めば誰でもリアス式海岸が津波を吸い込む可能性を感じたはずだ。ワイドショーなどで煽られた話しを簡単に信じて安心してもいけないし、リスクの過大評価をしてもいけない。リスクにはリスクとして備えなければいけない。例えば、原発が絶対安全だとは言えない。絶対ということはないということだけが絶対なのだ。また、大型津波もこれからもあるだろう。したがって、どんな津波が来てもそれに耐えられるような装置を作ること、万が一原発事故が起きたら全員が退避できるシェルターを作っておくこと、原発事故の専門家を核兵器先進国から来てもらって常駐させること、これを経産省の経費で行うこと、これらは実現可能なことである。
問題は核廃棄物の処理の問題である。フィンランドのオンカロに地中深く埋めた核廃棄物も10万年後まで毒は消えないという。10万年後に考古学者が研究一途で掘り出したらまた毒が散らばる危険があると説く人がいる。それでは訊くが、10万年前のネアンデルタール人が今日のことを考えたかと言いたい。  

文明は自然と人類との戦いで進展した。結果的には人類が勝ってきた。核廃棄物を宇宙のゴミとして捨て去るという技術も生まれるかもしれないし、月面に核廃棄物を捨てる場所の借地権を設定してそこに日本の核廃棄物を捨ててくるという技術も開発されるかもしれない。筆者が野村證券に入社してから8年目の年(月面着陸は1969年)、今から52年前、月面に人間が着陸して歩いて月面の石を拾って帰ってきた。こんなことはその10年前には誰も想像できなかった。ところが、ソ連がガガーリン少佐という小男を乗せた宇宙ロケットで宇宙空間を飛び「地球は青かった」という言葉を残し、ケネディは大いに慌てて10年以内に月面に人類を着陸させてみせると言った。そしてそれは9年目に達成された。その時はケネディは月面着陸の6年前に暗殺されていた。このように人類の技術は次々と進歩する。宇宙空間に1キログラムのものを運んで捨て去るとしても相当な費用がかかるという。だから最初に宇宙空間へ行ったソ連のガガーリン少佐はスラブ民族には珍しく慎重158㎝の小男だったいう話しだ。

また、東京五輪が成功だったかどうかを経済的価値だけで測ったとすれば、コロナ対策で使った政府予算は43兆円で東京五輪の赤字は0.9兆円だからコロナ対策の政府予算の2%弱である。その意味では経済的には致命的ではないと判断できる。これは経済的価値からの評価だ。アスリートは国家の名誉のためではなく、自分の自己発現のために戦う。それで自己発現とスポーツマンシップを通しての国際親善がかなったかは経済的価値ではなくて社会的価値である。本稿が時々述べるように経済的価値と社会的価値とをどちらをとるかという議論は経済学の公理を無視するものである。これは深い考え方のようでありながら一種の思考停止状態に陥った状態である。

【今週号の目次】
第1部 当面の市況

(1)はじめに
(2)中国発の激震があったが中間反落だと思う――本稿脱稿前に600円上がってしまった、だが未だ不安定ではある
(3)中国リスクの警戒はもともとからあった
(4)残念な信用買い残のふくらみ方
(5)VIが「4ヶ月ぶりの高水準」だった
(6)総裁選のスタートと株価トレンド
第2部 中長期の見方
(1)新内閣への期待は30兆円の経済対策。河野氏は「規制改革」を第一に挙げ、岸田さんは「成長と分配の好循環」を第一に挙げている。いずれも経済対策を伴う
(2)米FRBの緩和政策の縮小は11月、利上げは来年。海外要因は中国発よりもアメリカ発の方が大きい
(3)株式市場と財政規律問題
(4)国内債券市場で長期金利
(5)88年に決まった「BIS規制の恐怖」が蘇る――地銀に対する金融庁の新たな資本規制、平成金融不況のもとになった自己資本規制の準備段階
(6)次の総裁とロシアとの関係
(7)退陣前のしたたかさを見せる菅首相
(8)東京五輪は成功だったのか失敗だったのか
(9)2001年9月11日の「同時多発テロ」は「戦争」ではなくて「犯罪」だった、故に初めから軍隊の仕事でばなくFBIの仕事だったのだ
(10)全国の地価動向
第3部 読者との交信欄

【プロフィール】
山崎和邦(やまざき・かずくに)
1937年シンガポール生まれ。慶應義塾大学経済学部卒。野村證券入社後、1974年に同社支店長。退社後、三井ホーム九州支店長に、1990年、常務取締役・兼・三井ホームエンジニアリング社長。2001年、同社を退社し、産業能率大学講師、2004年武蔵野学院大学教授。現在同大学大学院教授、同大学名誉教授。大学院教授は世を忍ぶ仮の姿。実態は現職の投資家。投資歴57年、前半は野村証券で投資家の資金を運用、後半は自己資金で金融資産を構築、晩年は現役投資家で且つ「研究者」として大学院で実用経済学を講義。
趣味は狩猟(長野県下伊那郡で1シーズンに鹿、猪を3~5頭)、ゴルフ(オフィシャルHDCP12)、居合(古流4段、全日本剣道連盟3段)。一番の趣味は何と言っても金融市場で金融資産を増やすこと。
著書『投機学入門』『投資詐欺』(講談社)など多数。
ツイッター https://twitter.com/toukinoryugi

【著書】
『賢者の投資、愚者の投資』
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『投資で勝ち続ける賢者の習慣』
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その他、著書多数。以下よりご覧ください。
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