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「前夜」感想/孤独だったのは、私

初めに

 前回の記事から一ヶ月が経ちました。あまりにも反応が低かったので記事を無料にしたいと考えていなかったり、そうでなかったりの日々を過ごしています。と完結できたら良かったくらいここ一ヶ月はしんどくてなってしまい、メディアの類いやSNSでさえ何も見たくない程でした。
その間はあまりにも辛さが厳しかったので地元の保健所にて心の相談をした結果、市販の漢方薬を服薬して経過観察しています。現在はしんどさは弱くなりましたが、「自分は何者にも成れていない後悔」と「自分は何者にも成りたくない逃避」が自分の中で行ったり来たりして創作活動が出来るのはやっとです。

 そんな最中ですが、先日2022年3月20日は作家兼脚本家のツチヤタカユキさんの誕生日でした。34歳です。本当なら、この日に間に合うように記事を完成させるつもりでしたが、気力が戻らなかったので今に至っています。
さて、今回はツチヤタカユキ著の小説『前夜』の感想文です。

私が購入した「前夜」

性の中に「生」がある

 感想の前にこちらは今年映画化されます『笑いのカイブツ』の続編です。前作のその後だけでなく描かれなかったエピソードも補完されています。
今作は前半と後半でガラリとツチヤさんの状況が変化しているのも特徴ですが、感情が揺れ続けるのは前作と変わりません。尚、今回は発刊からまだ半年も経っていないのでネタバレを避けます。

 まずは前半についてですが、前作と打って変わって「性」に塗れていました。今までそう言うことが身近ではなかった者がそれを知って貪る、ある性に溺れた中堅芸人が自身の大学時代で今のようになったというエピソードを思い出して私は「性」を完全悪と捉えないように生きようと決めました。それはさておいて、作中ではそれは闇が強く描かれ、地獄の中にいるのか錯覚します。前半は読んでいく度に本当に辛くなり、このまま読み進んでいいのか悩む程自分がぐちゃぐちゃになりましたが、この中で現在のツチヤさんの創作活動の方針、ある作品の誕生の手掛かりを得られました。

 読了後、作中で「性」に溺れるツチヤさんは死にたいのではなく「生きたい」のではないかと見受けられました。「性」という漢字の中に「生」があるだけの洒落ですが、本当に死にたいのならば突然何も言わずに消えていくものだと私は感じるからです。私も希死念慮があり、かつてはそれを叫んだら母親が全力でその道に進ませようとしたら怖くなって留まった故に、今はひっそり消えようかと考えていることから思い付きました。
叫びが出る程の気力はある、まだ生命力が途絶えていない、けれどもそこから生きようとする光の道から遠ざかる、生死の境目から決断できない、連なる曖昧さが曖昧のままで濁った感情が残り後半部分に突入します。

東雲とは夜明け

 前作でツチヤさんが芸人にならなかった理由は判明していなかったのですが、今作では後半部分で詳しく描かれていました。前作の感想文は私も書き連ねましたが、その理由を推測で表現する完結に導いたのを後悔する程非情な現実で、私は自分が芸人を目指さなかったことを思い出しましたので紹介します。
 私がお笑い好きになったのは小学校高学年、同級生がテレビで見た芸人の真似を休み時間に披露した事でお笑いに興味を持ち、それから波はあれども継続しています。しかし、中学時代にテレビでよく見掛ける芸人が短期的な過剰消費で消えていく所謂「一発屋」が多く誕生して、私は残酷なメディアのあり方に嫌気を差してこれ以上辛い目に遭うかもしれない芸人を増やす側になりたくないと決めて諦めました。
改めて、ツチヤさんの過去に比べて私のはあまりにも矮小なエピソードでしたが、彼も芸人の残酷な現状で打ちのめされていました。彼も私も辛い時同じ目線から慰めてくれる人間がいないのは共通していますが、それでも自分は浅はかと精神的に自傷行為へと走りたくなります。

 それでも、「お笑い」そのものに縁を切ろうとせず生きていたツチヤさんですが、前半部分ではその縁を断ち切っていました。それ以外でツチヤさんが誇れるものは無くなってしまった故から死に向かっていたのでしょう。けれども、今まで築き上げたものを知った方は彼を見放さなかった、それがツチヤさんの再起へ一歩踏み出せるようになり、実績評価も得られるようになりました。そうして彼が光の道に歩もうとした、それが自分がとても侘しく思い詰めます。
 気付いたら側に仲間がいるツチヤさんに対して私は手に届く範囲でそのような存在はありません。実家暮らしの体たらくが何を言っているのかと反論したくも成りますが、行政書士試験は親が勧めたのが切欠で親はほぼ放任状態でほとんど独りぼっちでの闘いです。インターネット上で仲間は見つかりますが、それでも本心で語り合え、すぐに手を差し伸べられるかというとそうではありません。一読して、本当に孤独だったのは「私」だと気付き、彼の人間関係を勘違いしていた恥から情けなさに溺れて気が滅入ってしまいました。
尚、このエピソードは昨年の話なので最近のしんどさとは一切関係ありません。
 そうして、再起の夜明けを迎えたツチヤさんを見ているだけの私はまだ真夜中を彷徨っています。東雲がまだ来ない自分は何が出来るのか悩みましたが、彼の作品を見届けることは残されています。積極的になれなくても生きる、そんな世の中が消えるのは嫌です。いずれ、私にも夜明けが来ます。

終わりに

 『前夜』の出版社による紹介ページと発刊記念エッセイを記載します。
そして、ツチヤタカユキさん脚本の新喜劇が2022年3月12日に関西地区で放送されました。見逃し配信は4月半ばになるでしょう。

 そして、私はまだ元気とは言えないので今回はあっさりとした感想文になってしまいました。というよりかは今までが過剰だったかもしれません。
また、ツチヤさんの影響で創作活動として雑誌「ココア共和国」にて毎月詩の投稿をしていますが、最近は毎月掲載されないので弱っているのが顕著です。
 それでも、落ち着きましたら自分に出来ることを探します。要するに、まだまだ生きていきます。

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