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燻る煙に噎せ込んだ


一年間の転勤生活を終えて戻ってきたとき、
当たり前のように連絡したら
亜子ちゃんの電話は繋がらなかった。

LINEで「戻ってきたよ」と送っても
既読がつくだけで、返信がない。

柄にもなく慌ててしまって、
共通の友人に連絡して戻ってきた返信に
俺は頭が真っ白になった。


亜子、彼氏できたよ


どうして俺はその可能性が1ミリも
頭をよぎらなかったんだろう。

そんな自分に恥ずかしくなって
俺はベランダに出て、タバコに火をつけた。


吐いた息が白い。
こんなんなら、春まで居ればよかった。

できるだけ早く戻りたい、なんて
会社に伝えた自分の頭に常にいた彼女の姿。


部屋は引っ越しの段ボールだらけで

届いていたテーブルに置かれた空き缶が虚しい。


とにかく片付けるのが苦手な俺のことを
いつも心配して、面倒を見てくれていた亜子ちゃんは

たしかに彼女ではなかった。

一線を超えたこともなければ、
唇を重ねたこともない。


タイミングを見計らってたら

このざまだ。


やってらんねぇな、ほんと。


そう思ってもう一本火をつけると
ポッケに入れていたスマホがなった。

タバコを口に咥えて取り出して
表示された名前に思わず咳き込む。


「もしもし、亜子ちゃん?」

「あ…、涼太くん。…久しぶり」


最後に声を聞いたのは半年前、
亜子ちゃんが恐らく、酔った勢いでかけてきた電話。

そのこと、覚えているんだろうか。

もし覚えていなかったら、
一年半ぶりだ。


「久しぶり。元気だった?」

「うん。私は別に、何も変わらないし。」

「彼氏できたって美波ちゃんから聞いたよ」


沈黙が流れた。

俺は灰を落としてから
タバコを口に運び、大きく吸って吐いた。


「おめでとう。」


こういうとき、なんで言葉って
全然出てこないんだろう。

言いたいことなんて沢山あるはずなのに
そのことしか浮かんでこない。


どんな人なの、どこで出会ったの、いつから?

かっこいい?面白い?優しい?


俺じゃだめだった?


「おめでとう、なんだ」

「そりゃそうでしょ。
…え?めでたくないことされてるの?」


シンプルに心配になって尋ねると
亜子ちゃんは小さい声で「ううん」と答えた。

それから呼吸の音が聞こえて
少しだけ、明るい声で続ける。


「めでたいよ。幸せだし。アプリで知り合ったの。
ひとつ年上で、涼太くんと同い年。
普通の会社員で料理が趣味で、
ちゃんと好きって言ってくれるし、優しい。」


聞いてもないのに、
早口で喋り始めた亜子ちゃんの声を
俺は三本目のタバコを吸いながら聞いていた。


さすがに外が寒くなって
キッチンの、換気扇の下に移動する。

料理を全くしない俺のキッチンは
IHの白いコンロの上には
昨日食べた夕飯のプラスチック容器が置きっぱなしだ。


「優しい人で良かった。」

「…涼太くんは?」

亜子ちゃんの声が震えてる気がする。

俺は相変わらず優しくないな。


「俺?なに?彼女いるかって?」

「いや、それだけじゃなくて…、仕事とか…」


「女の子に困ったことは
人生で一度もないから安心して」


珍しく腹が立って、言い方が乱暴になった。

知ってるくせに確認しようとするところ、
女の子らしくて、可愛くて、


面倒くさい。


「っ、なんっで、!いつもそういう言い方!」

「俺にこういう言い方させる子、
本当珍しいよ。亜子ちゃんだけだよ。」


君と出会ってからの、6年。
一度も女の子と遊んでない。

こう見えてモテるんだぞ、俺。

ああ、モテるように見えてたか。


「心配して損した」

「心配してくれてたの?」

部屋の中に入っても
換気扇の下は寒い。

ズボラで理性がない俺は
換気扇の強さを弱くした。


「だって涼太くん、
放っておくと適当に生きちゃうから。」


思ったより換気扇は
タバコの煙を吸ってくれなくて

少しだけ、視界が煙にまみれる。


思わず自分の吐いた煙を手で払った。


「…なんだ、それ」

「だからっ!余計な心配だった!」


「そんなに心配なら
側に居てくれれば良いじゃん」


そう呟くと電話の向こうは静かになった。
言葉を探す亜子ちゃんの顔、

見なくても、想像がつく。


「じゃあね、また連絡して。」

「え?しないよ。」


「知らないうちに
俺が野垂れ死ぬよ。」


電話を切った。

タバコの煙が目に染みる。


目に染みて、涙がこぼれて、

煙に咽せて、

口から漏れた嗚咽は全部、


タバコのせいだ。


燻る煙に噎せ込んだ




**

電話を切った瞬間、
涙が溢れて、私は声を殺した。


くやしい。

もう、辞めたいのに。


私じゃなくて良いくせに、

私しか居ないみたいな言い方しないでよ。


電話越しでも感じる彼のタバコの香りも

本当に面白い時だけ見せる
目尻に皺が寄った笑顔も

ボロボロなのにいつも部屋で着てる
高校の時のジャージも

やたらと家電にはうるさいところも


全部、私だけだと思わせないでよ。


「…なんっで、帰ってくるんだよお…」


もう放っておいてほしかった。

亜子ちゃんなんて忘れたよって、
遊びまくっててほしかった。


咳なんてしないでよ、心配になるじゃん。


私もタバコ、吸えたら良かった。

そしたらきっと全部、
涙も、嗚咽も全部、

タバコのせいにした。



2021.09.02
理想幻論様
「燻る煙に噎せ込んだ」

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