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劣等感がない私

子育てをしていると、余計に
人と比べる気持ちが出てくることもあると思う。

うちの子の方が!とか。

あのお家はいいな。とか。




私には、まったくその気持ちがない事に気付いた。

人と比べたところで
自分の幸せが見つかるわけじゃないからだ。



そうはいっても、
小学校に入ってから10代の頃までは、羨ましいという気持ちや劣等感に苛まれて苦しい時期があった。



でも、ある時気付いた。

劣等感って、勘違いだ、と。

劣等感は、

自分にある良いところを自覚することが出来ないから

人が羨ましく見える。

人から見れば、自分にも良いところがある。



劣等感とは、

「誰かより自分には良いところがない」

という、自分下げの

「勘違い」だと気付いた。

私には、私の良いところがある。



そう気付いた時から
比較することがなくなった。



それまでに、自分の外見について努力することもあった。

努力すればするほど、人間って本当に見た目だけじゃないんだなと思うようになった。



人それぞれ育ってきた環境と生き方があり、

それを真似したり羨んだところで
手に入るものではない。

だから、すでに自分が手にしているものを
よーく見つめて
昨日の自分より素敵な自分になろうと思う。



そして、自分にとっての
幸せとは何か?

そこに辿りついたからこそ、
比較する必要がない。

私は、生きているだけで幸せだと思う。

だから、子供達にも
とにかく生きていてくれと思う。

恵まれた学歴や能力、才能があれば
もしかしたらより幸せなのかもしれない。

けれど、
私は当たり前のことが当たり前にできる、

人の気持ちのわかる人間でありたい。

子供には、人をいじめない、
人に優しくできる人間であって欲しい。

生きていれば
重い病気になったり、
事故に遭い手足を失う心配だってある。

それでも乗り越えて生きて欲しい。




生きると言う事は、
簡単ではない、と身を持って感じている。

健康である限り、
働いたり生活をしていく必要がある。

朝起きて、ご飯を食べて、働いて、夜眠る。

こんな当たり前のことが
私にはできない時期があった。

だから、当たり前の生活が
当たり前にできれば、それ以上の幸せはない。



私は若い頃は、
人より優れたい
そんな思いで
自分の幸せがなんなのか?わからなかった。


日本では、自分の好きなことが仕事にできたり
好きなものに出会うことも難しくない。




当たり前のことを当たり前にし、
自分の好きな事を大切にする。


それが私が感じる最高の幸せです。


もしかしたら、多くを望まなくなったから
今、劣等感がないのかもしれません。

読んで頂きありがとうございました。

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