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想い≠呪い。

呪いってなんだろう?

Wikipediaによると、

人または霊が、物理的手段によらず精神的あるいは霊的な手段で、悪意をもって他の人や社会全般に対し災厄や不幸をもたらさしめんとする行為

だそうです。

悪意をもって

とありますが、

悪意ってなんでしょう?

よく異世界で魔王と闘ったり、地球を侵略する宇宙人と戦ったり、同じ流派の別の一派と戦ったりする漫画やアニメ、ゲームなんかで目にするのが

悪とは誰かにとっての正義であり正義は誰かにとっての悪である。

という対立構図。
特にドラゴンボールは、様々な敵が様々な想いを抱き、地球と、悟空と、対立しますが、最後に魔神ブウという

純粋な悪

を出した事で、今までの敵達は悪ではなく別の正義で動いた者たちであるということを強調していると感じます。
現実の場においても

自分は正しいと思って行動していたことが、別の見方をすると正しいとは言えない…

そんな事は多々あります。
それは本当に些細な、例えば、冷たい方が美味しくて良いだろうと思って、水筒の水に氷を入れたら次の日にお腹を壊すとか、カレーが好きだから夕飯をカレーにしたら良いだろうと思ったら給食もカレーだったとか、そんなレベルの事。

水筒の氷や連続したカレーや魔界の魔王や侵略宇宙人や別の一派を動かしたものはなんだろう?
それは、

想い

なんじゃあないかと思います。
この想いが何かのきっかけそれは自分の経験、偉い人の意見とかインターネットの有識者のコラムとか多数派の意見とかそんなものかもしれません。
その、きっかけを得て

確たる信念

となった時、それは

正義を纏い

強さを得てしまう。

その強すぎる想いを受け止めた人はどうなるのでしょうか。
それが、

極端な場合だとそれだけが

正しい事と感じてしまいます。
特に子どものように精査する判断力を培う経験値が少ないのに、真っ向から受け止めてしまう者は

それに縛られてしまう

事もあります。
真っ向から受け止め、そうしなければと思い詰めるうちに、正義から外れることを恐れてしまい、自分の自由な発想や意思に蓋をしてしまい、結果として心が疲れてしまい、その子の人生に災厄や不幸を為してしまう。
そうなった時

呪い

は生まれてくるのではないでしょうか。

こうした方がこの子のために良さそうなんだけどな…

そう思った時、

自分がそうだったからとか偉い人や有識者のコラムやみんながそうしてるしとかより前に

この子はどう思うかな?

を考えてみる事で

想いを呪いに変えずに伝える

ことができるのではないかなぁと思います。


サポートは峠工房の維持運営費となります! 受け皿のなかった重度障害者の生活・学習・就労訓練から始まり半世紀、近年は増加傾向にあり、対応が追いついていない軽度発達障害、また選択肢の少ない身体障害の人達も住み慣れた地域で生きていけるような自立を支援をしています。よろしくお願いします。