大喰らいのお嬢様(神崎玲と羽山結衣の場合)

田舎特有の泥の匂いも凍らせるようなクソ寒い冬の夜を、ぼくは獲物を探して歩いている。なんの娯楽もないこんな町で深夜外をうろついていれば、あっという間にインターネットの速度を上回るイナカ・ウワサネットの話題になるが、不眠症だから疲れるまで散歩をしていると言いふらしているので問題は無い。
 寒さから手を守るため黒のコートのポケットに手を突っ込んでいるので右手はどうしても中にあるナイフに触れる。まるで殺人鬼だな、と思うと自分が実際にそう呼ばれる種類の「モノ」であることを思いだし笑いそうになる。
 いつも通りの散歩道。今日は獲物が見つかるだろうか。
 この町に入る最も大きい道路はハズレ。次は山の登山口のある通り――アタリ。
 術の性質上どうしてもそうなってしまう虚ろな、まるでただの穴のようでいて明らかに殺気だった目が十代位の少女を捉える。身体を小さく見せるすこしオーバーサイズの茶色いコートにシンプルなデザインのトレッキングシューズ。髪は黒いセミロング。
 案の上あそこへ向かうようだ。僕は心臓と魔力炉の鼓動を弱め、気づかれないよう距離をとりながら彼女を尾行する。
 五分後、少女が刃枝神社の鳥居をくぐり少し歩いたところでぼくは魔力炉を一気に加速させ、半吸血鬼――殺人鬼としての能力をフルに覚醒し一瞬で彼女に喰らいかかる。
 刃を開いたナイフが背中、右肩甲骨の下に深々と突き刺さり、気が付いた少女が強引に体勢を変えてナイフを引き抜き、鮮血が噴き出す。
 境内でぼくと彼女はある程度の距離で対峙する。背中を刃渡り十センチ以上銃刀法ドチャクソ違反のナイフで刺されたにも関わらず、少女は無表情だ。普通なら失血死だがその前に完治とまではいかずとも血は止まるだろう。
 少女が指先を僕に向けると不思議な風が吹いたように砂が渦を巻いて吹き上がり、彼女の指先でレンガサイズの石になって僕の顔に向かって撃ちだされた。
 僕はそれを首の動きだけで避け、使いまくって脊髄反射で組める術式の魔術でナイフをもっていない方の手から電撃を彼女に流し込む、数秒のスタン、ナイフで狙うのは釣り上げられた魚のように痙攣する彼女の白い首だ。あと一瞬で決める、いや、決まる。
 瞳孔が開いて明度が上がり、夜は漆黒から深い群青色になる。視界の全域にピントが合っているような感覚。
 脈動血流アドレナリンドーパミン興奮物質が濁流のように僕に快楽の電流を流すあああああぁぼくは生きてる生きている生きるのは最高だ多分死ぬのと同じくらい最高だ。
 殺し合いの極限の緊張感と殺気、鉄の匂い、破壊衝動の解放、そしてなにより半吸血鬼としての能力の副作用の異常な覚醒状態が僕の渇きを、飢えを満たす。

 「お腹が空いているのかい?」
  深夜、比較的都会な隣町の路地裏、わざと因縁をつけられるようにして釣った不良さん達がボコボコになって転がっている中立ち尽くす僕に頭上から声がきこえた。
天使、と一瞬思うほどの可憐な声だったが、こんなところに天使は舞い降りない。
 頭上を見下ろすと青白い、不健康な栄養失調の血色な今にも死にそうな顔に生気が満杯の笑顔を浮かべた少女が建物の屋上から見下ろしていた。年は十四歳くらいだろうか。
 その体躯は今まで見たどんな人間よりも華奢で、見上げる形になっていた僕の視界からは彼女の背後に満月がのぼっていた。
 少女、拒食、暴力、夜――月。
 いつもの夜が一瞬にして魔に染まる。
 「……眠れないだけ」
 「違うねえ、君は飢えている」
 「眠れないから、疲れるまで散歩してただけだよ」
 「眠れないのは飢えてるからだよ。だって、疲れるためならわざと喧嘩相手を釣るなんてことする必要はないじゃん。君は喰らいたいんだよ。暴力を。破壊を。興奮を」
 彼女の言いたいことは、なんとなく分かる。なにをしたって満たされないのだ。退屈とは少し違う。僕はハイに動きハイに暴れ何かをめちゃくちゃに壊したい、言いようのない怒りにも似た渇きがある。そうか。この不良さんたちと遊ぶ自分の趣味がどこから来ているのかを、彼女の言葉で理解した。
 「私もね、とってもおなかがすいてるの。これは君の比喩としての飢えじゃない。空腹でいつも死にそうなんだあ」
 「お金、ないの」
 「私の食べ物はお金じゃ買えない」
 血、と彼女は言う。
 「私は血を飲みたいの。たくさんたくさん血が飲みたいの。協力してよ。そうしたら君の渇きは満たせるよ」
 ぼくは笑う。
 「そんな、まるで」
 「そう、私は吸血鬼」
 彼女が歯を剥くと、人間ではありえない、獣にもありえない、殺意の宿る真珠のような白い牙が覗く。彼女が親指に牙を立てると、赤い、紅い血が流れ雫となって落ちる。
 「探してたんだ。私と同じ瞳。飢えて渇いて仕方がないその瞳」
 彼女は三階の高さをまるで階段の二段飛ばしのように軽やかに飛び降りて、指を差し出して血を舐めるよう無言で促す。
 「私の殺人鬼になってよ」
 これが吸血鬼、羽山結衣との出会い。
 ぼく、神崎玲が殺人鬼になった日の出来事。
 首から噴水のように血を噴き出して。とさり、と小さい音を立てて倒れたこの少女は人間ではない。一般的に人形ドールと呼ばれ錬金術師が使役する、ラジコンのように遠隔操作で動く自我の無いホムンクルスだ。様々な理論体系と組織のある魔術師の中でも錬金術師はかなりの割合を占めていて、かれらはその生涯のほとんどをラボに閉じこもり錬金術の研究に費やす。彼らの代わりに外で様々な用事を済ませるのが人形ドールだ。ネットでは買えない生活用品の調達は勿論、錬金術に使う素材を彼らは片っ端から買って盗んで奪って、その規模は半端じゃない。植物、鉱物、薬物。宝石や人間を含む様々な生き物の部位パーツ。神社の御神体や教会の聖遺物。果ては般若心経や死海文書の原本までこいつらは自分の研究の為に手段を選ばず手に入れようとする。
 ここ、刃枝神社の御神体である刀はなぜだか知らないが錬金術師にとって垂涎の的らしく、こうやって月に一度は錬金術師共が人形ドールを送りこんでくる。僕はそいつを殺して結衣の食事の血を確保するというわけだ。ただ、結衣の食欲は尋常じゃ無い。通常吸血鬼はひと月に人形ドール一体の死体があれば十分生きていけるのだが、結衣はぼくが学校帰りに山に登り鹿や熊を殺して持って行ってやらないと空腹でぶっ倒れる。血は量より質が問題であり、大体熊や鹿三十体分くらい、妖怪なら五体分くらいが人形ドール一体分の栄養があり、が人形《ドール》百体分くらいが人間一人分の栄養になる。ぼくと出会う前の彼女は怪異を殺し回って食い尽くし、妖怪が恐れてこの地域に近づかなくなったあとは人間を襲って貧血にならないくらいの量の血を吸い、記憶を消して飢えをしのいでいた。これはかなり危険な行動だったらしい。吸血鬼や殺人鬼、魔術師や怪異といった夜の住人が一般人に危害を加えるなど『夜』が露見する行為をすると様々な組織に命を狙われる。錬金術師も例外ではないが、彼らはとんでもなく数が多く一人につき数百体から数千万体の|人形ドールを有しており、隠れ家のラボから出てこないものだから手の打ちようがないのだ。
 この町のように地域のみんなと顔見知り、なんてド田舎では流石に珍しいが少し人口の多い町なら人形ドールは結構いる。その存在の奥を覗き、見えないモノを見る初歩中の初歩の魔術である「霊視」を初めて使って隣町を歩いていたら、明らかに「人間とは違う人間」が普通に見つかり驚いた。比較的都会とは言っても大都市に住んでいる人からすれば間違いなく「ド田舎」に類する町なのだ。今日刃枝神社に人形ドールが居なかったら明日は隣町まで遠征に行こうと思っていた。
ぼくが少女の死体を指差すと幾何学模様の光が彼女の周りを取り囲み、死体は光と共に消滅した。「大口」と呼ばれる収納魔術で、主人に死体を運ぶのが仕事の眷属である半吸血鬼にとって必須とも言える魔術だ。半吸血鬼は吸血鬼よりは劣るが、高い身体能力、魔力量、再生能力を有する。血を吸わなくても生きていけるのでかなりオイシイ種族ではあるが半吸血鬼になるには吸血鬼に魅入られ、吸血鬼の意思をもって血を飲まされることで眷属になる必要がある。これはかなり確率の低いことだ。なぜなら吸血鬼はその生涯で一人しか眷属を作れず、また「怪異の頂点」「夜の王」と呼ばれる彼らは大抵かなり傲岸不遜であり一人しか作れない眷属にされるほど気にいられることはほとんど無いからだ。
死体をしまうと神社の方から「ご苦労」のような感情が言葉ではなく直接飛んできた。
 気にすんなよ。あんたの為にやったんじゃないからさ。

ぼくの家系は地主だったらしく、土地だけはやたら持っていてそのなかにどういう血縁関係なのかよくわからない親戚のおじいちゃんが住んでいた家が取り壊されずにまだ残っていた。ぼくはぼくのお嬢様をそこに住まわせている。
 絵に描いたような日本家屋の居間で、羽山結衣は餓死がテーマの彫刻のように寝転がっている。最近はまとまった量の食事をとっていない。
ぼくの美しい女王。
ぼくのかわいそうなご主人様。
 「玲!来てくれたんだ」
 「ほれ」
 ぼくは「大口」から少女の死体を放り出す。
 「人形|《ドール》!」
 結衣は目を輝かせちぎれかけた首の横の肩に嚙みついた。
 ぼくはごろりと寝転がり、彼女の食事をながめている。いつもより長い間吸っている。空腹だったのだろう。しかし次いつ人形ドールが狩れるかわからない。ぼくは起き上がって彼女の背中をかるく叩き食事をやめるよう促す。
肩から口を離した彼女は血塗れの顔で、ねだるように切なそうな顔で僕を見上げる。
 そうしてふと思いつく。
「高校卒業したらさ、東京か京都の大学に行くよ。君を連れていく。大都市なら人形ドールも沢山いるし、京都は怪異譚、東京は都市伝説が多いから怪異がいっぱい居るよ」
 「――うん」
 結衣は笑った。ぼくのために無理をして笑顔を作ってくれた。
 ぼくは十六歳。高校一年生がもう少しで終わる。上京するにはあと二年。
 居間の扉を閉めて家に帰るとき、ふすまの向こうから「お腹がすいたなあ」という小さな声が聞こえた。あまりに人と人との距離が近すぎる田舎の日本家屋。紙と木で作られた襖では聞かれたくないことも聞きたくないことも伝えてしまう。

結衣はぼくの渇きを満たしてくれた。ぼくは結衣の飢えを満たさなければならない。
 満たさなければならないのに。
 ぼくはこの町の東にある人間の足の形をした池のことを思い出す。

神様にふっかけてやった。今まで守ってやっただろうがと。
去年死んだ森田のじいちゃんの畑にぼくは立っている。東京にいるじいちゃんの息子は農家をやる気など当然なく、思い出だけで一応相続されたこのだだっぴろい土地はそのうち森に飲まれるだろう。
腕時計で時間を確認する。スマホは置いてきた。動きづらいからコートも着ていない。
もうすぐ日づけが変わる。ぼくは一年神社を守ることを条件に一日だけ借りた刃枝神社の御神体、刀を握りしめる。
 影が降り、大きな人型が陽炎から半透明、その存在を濃くしていきついに完全に現れた。
 ダイダラボッチ。
日本各地で語られる巨人の召喚を僕は神様に願った。
今まで出したことのない本気の本気、全力でもってぼくはダイダラボッチに斬りかかった。飛び上がったぼくが胸を二メートルほどの切り傷を創る。
二メートル。この巨人からすればあまりに小さい傷だ。
怒り狂ったダイダラボッチの拳はさっき僕が着地した場所を抉り、地響きを響かせる。
手首を斬りつける。奴はもう片方の手で僕を捕らえようとするのでバックステップで躱す。
恐慌状態のダイダラボッチが両手両足を振り回す。発狂の域まで闘争本能を覚醒させた僕は飛んで跳ねて巨人の体にはあまりに小さい刀をめちゃくちゃに振り回す。
背後に回って斬りかかろうと飛びかかった僕にダイダラボッチの裏拳が迫る。空中では軌道を変えられないのでモロに直撃した。アクセル全開のトラックに撥ねられたような衝撃に襲われ、そのまま地面に叩き落される。全身の骨が砕けたかと思った。実際、歯はほとんど吹き飛んだので全部とは言わずとも半分ほどの骨は折れただろう。簡単には死ねないこの身体が恨めしく思えるほどの恐ろしい苦痛。
死にかけの虫のように地面でピクピク痙攣しているぼくにダイダラボッチが迫る。
死ぬ。死ぬ?
死ぬわけがない、だって、

私もね、とってもおなかがすいてるの。

跳ね起きた勢いでそのまま僕を捕らえるためと身を屈めているダイダラボッチの股下を通り抜け、軸足のアキレス権をぶった切る。
膝をついたダイダラボッチの背中に飛び乗り駆け上がり頸椎のど真ん中に柄まで刀を刺し込んだ。
フルスロットルの魔力炉で電流、いや、雷を相手の体に流し込む。
電気による筋肉の収縮にダイダラボッチは必死に抗っている。
畜生。もっと破壊を、もっと暴力を、もっともっともっと興奮を殺意を恐怖を覚醒を凶器な狂気を。
魔力炉が悲鳴を上げ、頭が爆発する直前にダイダラボッチはブルブルブルと短く震え、地に伏して、ぼくはついに刀から手を放してしまい地面に放り出された。

その昔、ダイダラボッチが残した足跡であるという言い伝えがある池を待ち合わせ場所にしていた。
彼女の後ろ姿を見つけた。丸い月を眺めている。羽山結衣は夜を着こなす。
ぼくは「大口」からダイダラボッチの死体を召喚した。
ズシン、という音に結衣が振り向き、無表情で肩を爪で引き裂いてダイダラボッチに目もくれず僕に駆け寄って抱きしめた。僕は彼女の肩から流れる血に口をつける。おいおい、こんな御馳走が目の前にあるのにまずはぼくかよ。羽山結衣らしくない。
ぼくの身体がさらに吸血鬼に近づき、急速に傷が癒えていく。
体を離してぼくは言った。
「ありがとう」
羽山結衣はあの夜を思わせる笑顔で笑った。
「ありがとう。うれしいなあ」

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