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円楽師匠御逝去

今日の夕方、twitterを見ていたときに、このニュースが流れてきた。

「三遊亭円楽さん、死去」

自分は漫才を見る前の数年間、定期的に落語を見ていた。

初めは友人に誘われるままに何でも行っていた。特に、両国にある「両国亭」という小さな舞台に三遊亭の落語家さんたちを見に行った。パイプ椅子が並んでいて、大きな柱が途中であるような質素な場所だった。

そこに円楽さんが月に一度くらい、高座に上がる日は混んでいて、今回は早く行けるから大丈夫という日にやっと見ることができた。

その時の円楽さんは本当に輝いていて、こんなに素敵な人はいない、と心底思った。演目は、たが屋だった。花火、すぐそばの両国橋が舞台だった。枕の途中まで二つの演目で迷っていて、お客さんを見て、この話に決めていたのだ。

「たが」というものが何か、自分はピンときてなくて、他にもそういうお客さんがいたのか、それを察知して、最近の人は「たが」が何かわからない、と、話をいったん留めて、たがは桶をしめるための輪だという説明をされて、更に「桶が何かわからない、という時代になってきている」と、落語のやりにくい部分を話されていた。

たが屋が両国橋で、御侍と道をゆずるゆずらないでもめる場面、花火見物の人びと、最後に飛んだクビ・・・

すべてが強烈な映像とともに、自分の体の中に飛び込んできた感じだった。

自分はすっかり円楽さんが好きになって、それから後楽園の定期公演(勉強会?)に通った。

歌丸さんもそこで二回ほど、ゲストで御見かけした。他にも上方の落語家さんや、母心(漫才師)、色々素敵な芸人さんを知った。

中野出身の落語家さんが両国亭で前座をしていたのだが、その方が二つ目(真打、ではなかった気がする・・・)になった時に、ちゃんと後楽園の会に呼ばれていて、自分の直接の弟子ではなくても、そういう気遣いをされる方なんだな、と思って、優しさを感じていた。

自分が好きだったのは、目黒の秋刀魚、そば清(そばきよ)、船徳・・・。

でも、1番好きだったのは芝浜だ。

自分が円楽さんを好きだった大きな理由は、円楽さんの落語を聞いていると、色々な風景が見えたことにある。長屋や花見の景色、会話に出てくる人々やお店のにぎわい。たが屋の時もそういう絵が見えてきて、本当に楽しかった。

中でも、芝浜では、夜明け前の真っ暗な海と、小さな星々が見えて、なんて美しいんだろう、と感動した。円楽さんの芝浜をみるたびに、夜明け前の暗く美しい海が見えた。

誰の落語を聞いてもそういうものが見えるわけではなく、自分にとって波長が合う人の落語のみで、そういうことが起きた。今でも、漫才を見ていて情景が浮かんでくるタイプの漫才師が好きだ。

その最初の感動を与えてくれたのが円楽さんだったと思う。

本当に、ありがとうございました。大好きです。