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プレゼンスとタッチ〜「本当のわたし」として「在る」こと

「プレゼンス」とはなんぞや。

わたしは「個としての在り方、在りよう」のようなものだと捉えているけど。

よく「セラピストはプレゼンスが大事」などとも言われるものの、「いやいや、生きていく中で全ての人にとっても大事でしょう」とも思うわけで。

だからこそ「プレゼンスとは」と、再度問い直す。

「真実を話すことはプレゼンスを必要とします。
私たちが真実を話すとき、私たち自身を見せることになります。

プレゼンスとはただ存在することです。

私たちが本当に誰であるかということを忘れてしまわずに。

私たちが私たち自身を隠したり、取り除いたりする必要がないときに、真実が立ち現れてくるのです。」


「隠すものが少ないほど、私たちのより多くのものを見せることを許し、私たちは他人より強い印象を与えるのです。」


「プレゼンスのもうひとつの要素は、自己を受け入れるということでしょう。

私たちが私たち自身であることを感じることは、なんと心地良いことなのでしょう。私たちが私たち自身を責めることをやめるときが、私たちの本当の存在が最も輝いているときなのです。
これが、私が“プレゼンス”と呼ぶものです。」

     「ローゼンメソッド ボディワーク」より

その人の筋肉には、生きてきた上で感じてきた感情が刻まれている。
という前提で行うソマティックなタッチ。

人が触れられる時、心地よさを期待してしまうだろうけれど、ソマティックなタッチがもたらすものは、必ずしも「気持ち良さ」を伴うとは限らない。

触れられた自分が発見するのは「心地悪さ」である場合もある。

でも、それは「自分の内側に眠っていた記憶」との対話の始まりかもしれない。

心の記憶の入り口としてのタッチ。


「本当のわたし」として、「ただ、在る」

記憶のナビゲーターとなるためには、そんな風に存在し、人に触れていく。

■ 小松ゆり子 official web site


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