究極の癒しの音楽を求めて〜ジャジューカ紀行①

2016年、「ジャジューカ」と言う村の、「究極の癒しの音楽」を体験しに訪れました。

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ジャジューカ村で、「ブージュルード」と呼ばれる聖なる存在を担うおじさんと。

この時の体験について、何回かに分けて書いていこうと思います。


2016年の7月。

こんな灼熱の時期にモロッコを訪れた目的は、ジャジューカ村で行われる全世界50人限定の音楽フェスティバルに行くこと。


プリミティブな太鼓のリズムと、チャルメラのような笛の音だけで構成され、どこまでもループしていく音。

身体の中の水に振動が多層的に響き、聴いているうちに頭の中がある種瞑想的な状態とも言えるポッカリとしたただの空間になっていく。


そんな天然のトランスミュージックに出会ったきっかけは、27歳で早逝したローリングストーンズの元メンバー、ブライアン・ジョーンズ。

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私はブライアンの存在を知り、ファンになったことからジャジューカの音楽にたどり着いたものの、7年前にモロッコを訪れた時には情報が少なすぎて、どうにもこの村を探す術がありませんでした。

ブライアンが亡くなる前に足繁くモロッコに通っている中で、ジャジューカ村の音楽に出会い、それを録音・編集したものが彼の死後になってからリリースされたことで、この小さな村の音楽は世界に知られることとなります。


そのため、ブライアン・ジョーンズはジャジューカで非常に大事な存在とされており、"Brahim Jones Joujouka Very Stoned" というブライアンの歌ができたほど。

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ブライアンがジャジューカを知るきっかけとなった画家、モハメッド・ハムリが手がけた絵がジャケットとなった『Brian Jones Presents The Pipes of Pan at Joujouka』。

ハムリの母親がジャジューカ村の出身であり、ハムリがブライオン・ガイシンやウィリアム・バロウズ、そしてモロッコに住み着き「シェルタリング・スカイ」を書いた作家のポール・ボウルズなどと交流したことから、ビート世代のアーティストたちがモロッコに通い出し、その流れの中でブライアンもジャジューカ村やその音楽と出会ったのです。

80年代にブライアンをきっかけにしてジャジューカの音楽を知った人たちが、世界のフェスティバルに彼らを招聘するようになり、ヨーロッパツアーも敢行。

ブライアンが村を訪れた40周年の年に「The Master Musicians of Joujouka Brian Jones 40th Anniversary Festival 2008」というジャジューカ村を会場としたフェスティバルが初めて行われたのです。

昨年、音楽関係のパーティーで出会った人たちがモロッコを話題にしていたので、「モロッコ...といえば、ジャジューカですよね。」と、話に横入りしたところ「君、ジャジューカ好きなの!?僕たちは来週フェスティバルに行くんだけど、行く?!」と急激に話が盛り上がり(笑)

「さすがに来週は無理だけど、そんなフェスティバルがあるなら来年は行きたい!!」


ということで、1年越しで計画し、人生2度目のモロッコへの旅を敢行することにしたのでした。

ということで、続く!


■ 小松ゆり子 official web site
http://yurikokomatsu.com

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