究極の癒しの音楽を求めて〜ジャジューカ紀行④

ジャジューカとは村の名前ですが、故ブライアン・ジョーンズによって世界に知らしめられたその村で奏でられる伝統的音楽そのもの、またそれを奏でる音楽集団の名前の通称でもあります。

今日はジャジューカの真髄である「音楽」と、それによって到達する瞑想的な領域のことを。

ジャジューカ昼の部-thumb-540xauto-263754


実はジャジューカフェスティバルには昼の部と夜の部があります。

と言っても、タイムテーブルがあるわけでもなく、非常にゆるい。

日中はとにかく暑いのでほとんどの時間はただ山とロバを見ながらじーっとしている(笑)

ジャジューカでボディワーク-thumb-540xauto-263787

たまに、旅の仲間にマッサージしたりも(笑)

ちなみにこちらで背中を伸ばされているのは、音楽評論家で中東料理の料理の研究家、ジャジューカ歴も複数回あるサラーム海上さん。

ジャジューカブログの写真は、自分で撮影したもののほか、サラームさんのお写真も使わせていただいております。

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午後3時くらいに集会場でランチタイムがあり、その後ゆるゆると昼の部の演奏が始まります。

私服なので最初は見分けがつかないのだけど、マスター・ミュージシャンズ・オブ・ジャジューカのメンバーと、そうではないフツーの村人が混ざっている様子。

膝上において横弾きされるバイオリンや、リラという笛、そして太鼓に合わせて故ブライアン・ジョーンズに捧げる「Brahim Jones Joujouka Very Stoned」などの歌が歌われたり(ブライアンが世界にこの村の存在を世界に知らしめ、豊かさと源となったので非常に尊敬されている)。

夜の部のトランシーな世界観とはまた別のアラブ民謡といった感じ。

マスターたちもリラックスしていて、のどかな空気の中で音楽が奏でられます。

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音楽や踊りは、最もプリミティブな「祈り」のあり方の一つです。

トランス状態とは、ただ恍惚としているのみならず、ほとんど変性意識状態のような領域に入っていること。

イスラムのスーフィーズムの流れを汲む、神に近づくために奏でられるジャジューカの音楽は、まさに「トランスミュージック」の原点。


同じフレーズの反復や、反復するリズムは、人をトランス状態に誘うことが古くから知られており、キリスト教会は、「打楽器や不協和音、反復音楽は人の心を惑わし悪魔を呼ぶ」として禁じていた時代もあるのです。


これは、私がジャジューカを訪れた2016年のフェスティバルの様子。

大人も子供も入り混じってトランス状態に。

私たちが到着した日に村の近くで結婚式があり、マスターたちがそこに呼ばれて演奏するらしく、ラッキーな事にその祭りの一部に参加させてもらうことになりました。

「ジャジューカ・フェスティバル」はある意味「お客様用」の演奏。

フェスティバルの前に、この地域に密接に根ざした形での演奏やそこに集う人々の「祭」を垣間見て、マスターたちがこの村にいる意味の本質を感じることができたのは貴重なことでした。

中庭が中央にある二階建ての建物には、現地の人がぎっしり。

そこにマスターたちが奏でる音が鳴り響く。

それに合わせて踊る人々はほとんどが男性なのだけれど、急に超絶美人のグラマラスな女性が飛び込んで激しく踊り出す。

モロッコでは女性は積極的に人前に出ることもなく、既婚女性は写真も撮ってはいけないので撮影もできません。

しかし、普段は控えめにしているモロッコ女性の中に宿るそのパッション!


完全に音とシンクロしたようなその内側から湧き出る踊りに、見惚れてしまった...。

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夜の部はマスター達も正装で現れ、これから演奏される音楽が神聖なものであることを感じる厳かな空気に一変。

ライタと呼ばれる木管楽器と、太鼓というシンプルな構成。

マスターと呼ばれるミュージシャン達は、一旦演奏が始まれば3時間は吹き続ける。その集中力と体力の凄まじさ。

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神に捧げ、神とつながるプリミティブなジャジューカの音楽。

聴いていると、身体が勝手に太古の記憶を呼び覚まされたように動きだし、それは踊るというよりも「自分も音になる」ような感覚。

音は空気の振動であるけれど、私たちの世界をミクロまで見ていくと、物質の内側は分子や原子の世界であり、全ては振動している。

五月雨式に降り注ぐ、有機的な音の周波数。

音をただただ浴びていくうちに頭がパッカーンと、真っ白になる感覚が訪れる。

ブージュルードと②-thumb-540xauto-263760


その時に「あ、こういうことか!」とわかった。

なぜジャジューカが「究極の癒しの音楽」と呼ばれるのか。

音楽を通じてジャジューカの人々が繋がろうとしていたのは「神」。

しかし、イスラム教徒ではない私がつながったのは、きっと「自分自身の内なる神性」。

キリスト教が反復したリズムを禁じたのは、「神」の定義が壊れてしまうからかもしれません。

ジャジューカ夜の部③-thumb-540xauto-263764

異なる宗教ですが、ヒンドゥー教の教えでは「ナーダ ブラフマー」という言葉があります。

「神は音であり、音は神なり。」という意味だそうです。


音の振動、周波数によって自分が人生で身につけてしまった様々な殻が破れ、ただただ自分そのものに還っていく。

ジャジューカのトランスがもたらす瞑想的な領域は、私たちの内側にある律動を取り戻す。

それこそが「癒しの本質」なのだと、頭ではなく自分丸ごとでわかる経験でした。

ブージュルード①-thumb-540xauto-263766



■過去のジャジューカ紀行は下記からどうぞ。

究極の癒しの音楽を求めて〜ジャジューカ紀行①
究極の癒しの音楽を求めて〜ジャジューカ紀行②
究極の癒しの音楽を求めて〜ジャジューカ紀行③

■ 小松ゆり子 official web site
http://yurikokomatsu.com


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