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あなたの「ふるさと」はどこですか?

ITベンダー勤務の企業内診断士、廣瀬達也です。

中小企業診断士の中には、地域に対する活動を意識している人も少なくありません。地域活性化、地域おこしなどなど。
僕もその一人です。そして、僕の場合は地域でも特に「ふるさと」を意識することが多いです。(もっとも「意識している」だけで具体的活動になかなか落とし込めていません…)。

「ふるさと」についは「縛られる人」、「縛られない人」がいますね。「縛られる派」の僕としては、「縛られない派」の人がときにうらやましくもあり…という複雑な思いを持っています。最近課された大学院レポート課題の中でその「複雑な思い」を少し整理できる機会がありました。今回はそのときに得た情報など交えて「ふるさと」ネタを書きます。お盆でもありますし…。

■「ふるさと」とは何か
一般的な分かりやすい「ふるさと」は、「生まれ育った地域」のことだと思います。最近までそんな漠然とした思いしか持っていませんでしたが、レポートのために読んだ「故郷の喪失と再生(成田龍一等・青弓社)」に書かれていた「固めな説明」に触れて、「ふるさと」についてなんとなくシックリきました。少し長いですが引用します。

最終的に人々が落ち着くところは東京、あるいは大阪という大都市がもっぱらとなるが、人々が落ち着き先として定めた大都市において故郷が発見される、すなわち生まれた地域が自分の故郷であることが発見される。つまり、空間的に移動して、かつ時間が経過することによって故郷が見えてくるということであり、故郷というのは事後的に、自分が移動したあとに発見されると言うことができる。故郷というのはあらかじめ存在しているのではなくて、移動したことによって発見される、事後的に発見されるものとしてある。しかも、重要なことは、ここまで生まれたところが故郷だと述べてきたが、区切られた空間=地域としてもあらかじめ故郷が決められているのではないということである。しかも何回も移動をくりかえし故郷の概念が形成されてくるなかで、必ずしも出発点が故郷になるとは限らない。

自分自身を振り返ると、「ふるさと」を意識したのは高校卒業して「ふるさと」(と後に自分が考える地域)を離れた後でした。東京で過ごした大学時代は東京出身・在住の友人から「いいなぁ。帰るところがあって」と言われるたびに「『帰ルトコロ』じゃなくて『帰ラナクテハイケナイトコロ』なんだよ…」とココロの中で思ったものです。(学生時代から早速「縛られて」いました)

ちょっと話がそれましたが、
●空間的に移動して、かつ時間が経過することによって故郷が見えてくる
●故郷というのは事後的に、自分が移動した後に発見される
●何回も移動をくりかえし故郷の概念が形成されてくるなかで、必ずしも出発点が故郷になるとは限らない

というポイントはこれまで自分の中にあったモヤモヤが少し消えていくものでした。

■「ふるさと」の変化
前述の「故郷の喪失と再生」によると、ふるさとに関わる現象は変化しています。
1970年代に「ディスカバー・ジャパン・キャンペーン」により全国に再発見された、ノスタルジックさあふれるどこにでもありそうな「古きよきふるさと」。

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その後、1980年代から90年代にかけて日本で広まった「ふるさと創り」では、その地域のよさをアピールすることが重要とされました。「ここにしかない唯一のふるさと」を創り出すことが求められ、さまざまな「ふるさと商品」が生み出されてくることになりました。ここで販売される特産品、商品は誰もが自由にお金を出すことで「購入」することができる「ふるさと」。つまり「消費型のふるさと」と言えるものです。「ふるさと納税」の商品はこのあたりの領域に入りそう。そして、この「消費型のふるさと」は今のケッコウ増えてますよね。とても商業的です。

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そして、ここ2年ほどで急速に広まっている、リモートワーク、ワーケーション。これらは新しい「ふるさと」に影響を与えるかもしれません。

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■「私にはふるさとがない」と「私のふるさとはここだ」

僕がジェーン・スーさんを知るキッカケとなったコラム「東京生まれ東京育ちが地方出身者から授かる恩恵と浴びる毒」がけっこう好きで(ちょっと表現が変ですかね)、お盆の時期になるとなんとなく読み返します。初めて読んだときは「なるほど!勉強になります。でも、『いつか私も東京に!』と思ったことはなかったけどね」と思いました。

東京と言えば、宮崎駿さんの映画でも「ふるさと」について東京的に?サクッと切り込んでいる作品があります。「おもいでぽろぽろ(1991)」と「耳をすませば(1995)」です。
私にはふるさとがない、といって理想のふるさとを義兄の実家である山形の田舎に見出そうとしたタエ子(おもいでぽろぽろ)」
私のふるさとはここだ、と強い現状肯定のもとに、東京を『ふるさと』に見立てた雫(耳をすませば)」。
このあたりを気にするのは僕が地方出身だからかもしれず、東京の方から見れば「ちょっと違うんだよな」なのかもしれませんが、「ふるさと視点」で2作品を観直すといろいろ面白そうではあります。

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いろんな顔をもつ「ふるさと」、これらの「ふるさとに刺さる商品」を開発して地域貢献もよいのですが、人のココロを引き付ける取り組みを丁寧に生み出したり関わったりしたいですね。市民としても診断士としても。(と、ムリクリ診断士への着地…)

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