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「秋祭り」の生存戦略

こんにちは。
ITベンダ社員、そして週末大学院生の廣瀬です。

僕の大学院での専攻は民俗社会学領域です。
2年半前の大学院入学時、指導教授から
「民俗社会学ではフィールド調査で丁寧に地域の人の声を集めるのです。すぐに何かのソリューションを提供するのではありません。廣瀬さんが卒業した法学部とは違うので」
と言われました。
これは法学部卒というより、ITベンダ社員でもあり中小企業診断士でもある僕がついつい「解決策を求める思考」になっていたことへやんわりとしたご指導だったと思っています。

僕の研究対象は僕自身の本籍地でもある兵庫県養父(やぶ)市八鹿(ようか)町九鹿(くろく)地区(漢字ややこしくてスイマセン)の秋祭り&(秋祭りで奉納される)「九鹿ざんざか踊り」という兵庫県の指定文化財にもなっている踊りです。

九鹿ざんざか踊り

地域のお祭りは、「その地域のコミュニケーション促進」というとても評価の高い機能があります。ざっくり言えば、「お祭りで地域が盛り上がる」「お祭りに参加することで新規転入者もその地域に溶け込める」という領域ですね。この領域は2000年前くらいで既に多く研究されていたようです。
そして、2000年以降は(人口減少社会の多様化進行などにより)「お祭りの継続・承継が難しい」という問題。あるいは、行政などが「地域のために」進める観光化された「お祭り」と、地域住民が自分たちのために守りたい「お祭り」のせめぎ合いが注目されている様子。
オーバーツーリズム問題も含まれそうなこのあたりは、社会学だけでなく、経済学、歴史学なども絡まった複合的な問題に思えます。とても興味深い領域です。

角館のおやま囃子

と、いうように(無理やり話を戻しました)地域のお祭りはその地域の人口動向にかなり影響を受けます。全国の地域の例にたがわず過疎化が進行しています。

もちろん九鹿地区も過疎化の影響は受けています。加えて特徴的なのは「混住化地域」でもあること(混住化により過疎化が若干抑止されている面もありそう)。

混住化地域とは、従来農家を中心として構成されてきた村落において、非農家世帯の流入と就業構造の変化(特に離農・兼業化)によって構成員の多様化が進行し、従来の村落的な社会構造が変容しつつある地域のことです。

九鹿地区で言えば、僕が子供の頃住んでいた頃は田圃だったエリアにどんどん新しい家が建ち、転入者(若い世代)がそのエリアに住み始めています。そして、昔からの住民が住んでいるエリアには空き家がチラホラ増えている(僕が以前住んでいた家もその一つ)。結果、地区の人口構造は変化しています。

九鹿地区の秋祭りは室町時代から行われていたといわれています。
その秋祭りが外部環境に合わせていろいろ変化していることが分かりました(継続するためには当たり前といえばそうなのですが)。
明治初期、農繁期における地区の負荷軽減のために2つのお祭りを統合
戦時中、踊りなどは中断
戦後、「ざんざか踊り・大人踊り」の復活
昭和63年、「ざんざか踊り・子供踊り」の復活
平成、だんじりの導入。

だんじり出動準備中

九鹿地区の区長さんと話をしたところ、「近隣地区でもやっている」「転入者が馴染みをもっている」ということから「だんじり導入」に踏みきったとのこと。これは新しい住民向けの「新規市場開拓」のための戦術とも見えます。その先は「だんじり」への参加は秋祭りへの参加となり、「ざんざか踊り」踊り手のすそ野拡大にもつながります(今年、だんじりを見学してそう感じました)。
「ざんざか踊り・子供踊り」はその存在自体が、「将来の大人踊り踊り手確保」にもつながります。地区に対する「市場浸透戦略的」な効果があるとも言えそうです。
これらはいずれも「マーケティング」というようなキレイに整理できるアクションではありません。実際は地域におけるお祭り・踊り継続のためのいろいろな視点・考えを踏まえた「地域の知恵」です。
秋祭りは地域の民俗芸能とはいえ「純潔を守り通すのではなく、持続のためにしたたかに変化・進化(つまり時代へ適応しようと)している」という姿の片りんに触れた気がしました。

このような地域のお祭り・踊り継続のための知恵は診断士的にもとても興味深いですね。
民俗社会学などの社会学領域の強みである丁寧なフィールド調査を踏まえた地域暮らしの整理・分析をする。そして、それらを踏まえた、経営学的なあるいは経済的な解決策の模索などができれば、地域にとって役立つ成果が得られるのでは。。などと妄想中(急いだ「解決策への飛びつき」は教授に叱られるので控えつつですが)。

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