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観光 × アート の島、瀬戸内へ

3年に1度開催される瀬戸内国際芸術祭。実は12年前の第1回開催時に「こえび隊」というボランティアスタッフとして参加した事があり、その後の芸術祭の発展の様子を知りたくなり、香川県へ向かった。


受け入れる側の成長


12年前、日本の離島を舞台にした芸術の祭典が行われるというキャッチーで話題性のあるイベントは、神奈川の片田舎に住む私を夜行バスに乗せて香川県へ向かわせる程のパワーを持っていた。ファスナーの形をした船が海へ進んでいく。後方の波飛沫がまるで地球を切り開いていくように見える作品に、これからの地方への希望が込められているように感じた。

当時はまだギリギリスマホが出始めたばかりで、来場者はスランプラリーのようなガイドブックを片手に、受付でハンコを押してもらいながら作品を巡っていた。私は毎日違う島の違う作品の前に立ち、ひたすらハンコを押す仕事をしていた。今ではチケットも電子化され、スマホでQRコードをかざして受付完了。それでも、各作品を説明するための人が必要な訳で、そのボランティアスタッフの方の多くが高齢であることに驚いた。
自分の父母よりも上の世代の方々が、流暢な英語で説明されていた。英語が話せて、時間にも余裕がある。お金を稼ぎたいというよりは、自分にできる事で人と関わりたい。そういう方々の雇用を生み出しているように思えて、とても良い循環だと感じた。


「暮らし」と「経済」


島の人と観光の人。12年の間に色んな試行錯誤があったんだろうなと感じた。普段数百人しか暮らしていない島に、いきなり何千人と押し寄せる。「暮らし」と「経済的効果」のバランスをどこで取るのか。観光客はあくまで、お邪魔させてもらっているということを忘れてはいけない。
島の人の生活を守る為の工夫。その一つに「住民限定バス」というものがあった。高齢化が進む島の方々にとってバスは生活に欠かせないもの。多分過去に観光客が多過ぎて、お年寄りが買い物や病院に行きたくてもバスに乗れないということがあったんだろうな。そこで暮らす人々の生活が、滞りなく進められること。日常生活というベースがまずあって、その次に観光がある。そこで暮らす人々の生活の工夫、気候風土に根ざした生活の知恵に観光客は発見や感動を覚えるのであって、日常の生活を邪魔してしまっては美しい日本の原風景は守られない。瀬戸内では、人々の「暮らし」を守ろうとする心があちらこちらで感じられた。


目に見えないものを感じるための装置としての「アート」


時間、風、温度、空気。
目には見えないけれど、確かにそこにあるもの。それらをアートという装置を通じて感じるための場所。本来私たちの日常に、常に、どんな時でもあるものを、私たちはついつい忘れてしまっている。当たり前すぎて、意識を向けることすらしないそれらのことに、じっくりと向き合ってみる贅沢な時間。それは、私たちの日常生活にも置き換えることができると思う。

3ヶ月ずつ3拠点を巡るTOUCAという旅に出て、どの地域でもまず同じようなことを言われる。「ここはなにもないでしょ?」「よくこんな田舎に来たね。」と。
その度に「そんなことはないのにな。」と心の中で思いつつも、じゃあ何があるのか?と聞かれるとうまく答えられない自分がいた。
「何があるの?」という問いに対する答え。それは「人の生活、営み」なのかもしれない。
生活圏の中で採れた野菜、魚、肉をいただく。誰が育てたのかわかるもの。どこから来たのか知っているもの。季節のものをその季節にいただくこと。
春、水の張った田圃の輝き。日々増していく新緑の青さ。
夏、虫の声、太陽の輝き。生命力が増していく。
秋、黄金色に輝く稲穂。日々変化する紅葉。
冬、しんと静まり返る雪の日。家族で集まる暖かさ。

あらゆるものが、24時間365日いつでも揃う都会の生活。便利さと引き換えに手放した自然の豊かさに帰ること。これからの「観光のあり方」の一つの方向性が見えたような気がした。

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