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満月

建物と建物の間の
ちょっとした陰の中から
その黒猫はいつも出てきた。
片目が潰れた黒猫で
鳴きもせず動きもせず
生き残った黄色い瞳を
丸く大きく見開いて
悲しそうに僕を見ていた。

黒猫と会うたびにほっと安心し
黒猫と別れるたびに不安になった。
ある日、黒猫は突然姿を消した。
次の日もそのまた次の日も
建物と建物の間の
ちょっとした陰の中に
僕は黒猫の丸く大きな黄色い瞳を探した。
だけど、僕はついに二度と
黒猫の丸く大きな黄色い瞳を見つけることはできなかった。
長いような短いような時が僕を駆け抜けた。

それはとても寒く暗い夜で
僕はひどく震えていた。
自分と自分に関係するものすべてが
消えていくような不安を感じて。
それは今日と明日の間の
ちょっとした夜だったかもしれないけど
僕にはそれが永遠に感じられた。
堪らなくなって
僕は窓を開け放った。
冷たい夜風が頬を撫でる。
町も森も僕とともに
夜の帳に消えつつあった。
僕の震えは更に激しくなった。
すがるように僕は夜空を見上げた。
夜空もまた茫漠とした闇が
どこまでも広がるばかりだったけど、
僕はその最上段に光り輝く何かを見つけた。
それはあの黒猫の丸く大きな黄色い瞳だった。
相も変わらず、
片目が潰れた黒猫は
鳴きもせず動きもせず
生き残った黄色い瞳を
丸く大きく見開いて
悲しそうに僕を見ていた。
 
僕は声をあげて黒猫を呼んだ。
だけど、声は音を出さなかった。
僕は両手をあげて黒猫を呼んだ。
だけど、両手は形がなかった。
僕は僕自身をあげて黒猫を呼んだ。
だけど、僕は既にいなかった。
丸く大きな黄色い瞳を残して
世界のすべては闇に飲まれていった。

建物と建物の間の
ちょっとした陰の中から
その黒猫はいつも出てきた。
片目が潰れた黒猫で
鳴きもせず動きもせず
生き残った黄色い瞳を
丸く大きく見開いて
悲しそうに僕を見ていた。