ヒューマンサービスの「専門性」と「専門職性」

 来週の月曜日(12月21日)の夜が半年にわたる全10回の連続講座になった「障害福祉の常識を問い直す講座」の最終回になる。区切りとなる最終回のテーマは「専門性」「専門職性」に向き合う。他にない講座で私がお話をしてみなさんと議論をさせていただく、参加費は寝屋川市民たすけあいの会に寄付してくださるという大変ありがたい企画の中で、1回目が
「だれのためのなんのための『支援計画』か?」からはじまった講座が「専門性」「専門職性」で終わる。実は、講座のテーマはその都度決めているのではじめから決まっていたのではなく、落ち着くところにみなさんとの議論が向かっていったということにもなると思う。

実は専門性や専門職性についてお話をすることはとても難しいと感じている。前提は、少なくとも、現代における「Human services」において。あらためて気づいたがヒューマンサービスとはどんな「サービス」のことか、と調べてみると、英語のWikipediaにはあるが、日本語ではその意味や定義を調べることが簡単ではない。英語が読める方は読んでみて欲しい。興味深いことが記されている。北米はHuman services、イギリスは(Personal)Social Servicesになる。残念ながら、私の知識不足で他のヨーロッパでは、このようなコンセプト(概念)があるのかどうかはわからない。が、少なくともHuman servicesと(Personal)Social Servicesの意味するところは微妙に違っている。単純化すると、市場をベースにした前者と公共事業をベースにした後者との違いということになろうか、そうするとその専門性、専門職性の議論も本来は変わってくる。

専門職はその保持する専門職としての「ライセンス」によって、価値付けされることによって「専門職」になることができる。つまり「専門職」は市場や社会によって「創られる」。もっといえば「創世」される。これは古典的に指摘されるように専門職の成立の歴史が宗教を背景に創られてきたことと深く関係していると言われている。産業革命以前はとくにヨーロッパでは教会によってつくられていたとされている。間接的に神により任命された人が専門職になるということだ。

近代以降、その構図は社会の変化とともに変化していく。専門性の確立というのは技術や知識の専有化=科学化(これはかなり恣意的である)になり、その習得が「ライセンス」となっていく。つまり、神や宗教者による任命、創世ではなく、その「ライセンス」を取得することによって専門職になることができる仕組みが作られていく。科学やそのある意味のアンチテーゼとして提起されてきた「エビデンス」によって、専門職が専門職であるための専門性が構築され、それを権威付けることにより、専門家が誕生していく。

いまやあたりまえのように、私たちのまわりにある「専門職性」や「専門性」について、こうして語っていきたいと準備している。

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