「見つける」ではなく「つながりたいと思っていただける」ために

社会科学などというものをそれなりに大学院まで行って勉強したものとしては、「数字」というものの魅力と魔力と、そしてその限界はよくよくわかっていると自分なりには感じています。この15~20年くらいに政策的に使われてきた数字根拠主義(一般的にはエビデンス主義って言われることが多い)やメディアのきりとり統計操作は、そんな自分にとっては口惜しいもの以外のなにものでもなかったります。

私は自分が広い意味での福祉の現場にいると思っています。広い意味です。自分では福祉と思っていなくても、いまや福祉と言われるという意味で福祉。福祉事業という意味ではありません。この10年ほどで、他分野からの福祉事業への参入が相次ぐ中で、自分がほんとうに「福祉」から離れていることを痛感します。これは批判ではないのです。自分がそう感じるということ、です。

先日、こんなエントリーを書きました。

私のnoteのリアクションにしてはかなり高くちょっとびっくしました。あいもかわらず、わかりにく文章から、何か、みなさん感じることがあったのでしょうか。

いま、寝屋川市民たすけあいの会では、寝屋川市内のNPO芽ばえさんとのコラボ事業のために、クラウドファンディングを行っています。

このクラウドファンディングのサイトの文章の中に、低体重出生児のことについて、引用している報告書があります。「平成 30 年度子ども・子育て支援推進調査研究事業 小さく産まれた赤ちゃんへの保健指導のあり方に関する調査研究 報告書
①低出生体重児のいる家庭に関する保健師向け支援マニュアル
②多胎児のいる家庭に関する保健師向け支援マニュアル
③多胎児の保護者向けのリーフレット
この事業は調査だけではなく、上記①~③のマニュアルやリーフレットを作成している。ここで、いままでの母子保健の施策ではあまり注目されてこなかった2000~2500未満の低体重出生児と低体重出生が多い多胎児についての注目が語られている。

この中で特に、

「低出生体重児保健指導 マニュアル小さく生まれた赤ちゃんの地域支援」https://www.mhlw.go.jp/content/11900000/000592914.pdf

に目がいく。その「はじめに」には以下のように書かれている。保健師さんたちむけに書かれたこのマニュアルの趣旨が見える。


● わが国において医療の進歩はめざましく、出生数は低下傾向にあるものの、出生数に占める低出生体重児の割合は 1980 年代から増加傾向にあり、2005 年頃からは 9% 台中盤で横ばいが続いています(人口動態統計)。この割合は、単胎児(2017 年:8.17%)に比べて多胎児(2017 年:71.65%)では格段に大きくなっています。
● 低出生体重児は、出生後にも医療的ケアが必要となる場合も多く、また発育・発達の遅延や障害、成人後も含めた健康に係るリスクが大きいことが指摘されています。そのため保護者は、出生直後、退院後、乳児期、幼児期、学齢期といったライフステージごとに、健康や障害、発育・発達、学習など、様々な不安を持ったり、育児上の困難を抱えたりしやすい傾向にあると言われています。加えて多胎児の場合は、子どもの数の多さに伴う育児上・生活上の困難も生じやすくなっています。そのため、低出生体重児及びその保護者に対し、個々の状況に応じたていねいな切れ目のない支援が必要です。
(中略)
● 改訂に当たっては、これまであまり焦点があてられてこなかった出生時体重 2000 ~ 2499g の子どもとその保護者についても記述しました。多くの自治体、保護者の方にご協力いただいたアンケート調査等から、低出生体重児の保護者が直面する困難さや不安、支援ニーズなど、支援に必要となるデータも掲載しました。

先に書いたように、出生時体重 2000 ~ 2499g の子どもと多胎児についての記述を付け加えた/そもそもは、低体重出生児は、
出生後にも医療的ケアが必要となる場合も多く、また発育・発達の遅延や障害、成人後も含めた健康に係るリスクが大きいことが指摘されています。そのため保護者は、出生直後、退院後、乳児期、幼児期、学齢期といったライフステージごとに、健康や障害、発育・発達、学習など、様々な不安を持ったり、育児上の困難を抱えたりしやすい傾向にあると言われています。」だから、「切れ目のない支援」が必要である、と。

切れ目のない支援とは?そもそも、支援とはなんだろう。
もちろん、母子保健そのものを否定しているわけではないのです。しかし、思うことがたくさんあります。

今回、ご一緒させていただいているNPO法人芽ばえさんから、私たちは日常的にたくさんの学びをいただいています。

「福祉」は、実は、なにかが おこってから登場するものになっています。
それは、日本の福祉の申請主義がおこしていることかもしれません。また、「福祉」が困った人のものと思われているからかもしれません。さらに、「福祉」は人(お上/国/行政)の世話になるというイメージが強いからかもしれません。
では、「福祉」がそうであるとしたら、私たち「福祉」の側の人間は、その「福祉」の世界に【落ち込んだ】人としか出会わないことになります。それを目一杯否定しつつ活動をしてきた私たちですが、どうも社会は私たちの思いとは正反対かまったく違う方向に動いているようだと、協働の中から学ばせてもらっています。

先のエントリー(「福祉的視点」の限界はほんとうに「福祉」的視点の限界なのか)でも取りあげました乳幼児の法定検診。私たちは、早期発見・早期療育の重要性が指摘される中で、その必要性やサポートへのつなぎを訴えてきました。しかし、その検診を受けているご家族からすると、検診で「ひっかかる」ことは、受験に落ちたように感じるのだそうです。乳幼児をして人生の落伍を言い渡されたようなものだと。なかには、検診に「ひっかからない」ために、先輩の親御さんからきいて、その検診の検査項目を練習させる親御さんもおられるのだとか。

ここまで読まれて、何かが違うと思った方も 逆に、「そんなもんだよ。あんたが知らないだけ」と言われる方もおられるでしょう。でも私はやっぱり何かが違う、と思っています。そして、それは

検診のあり方そのもの

仮に、検診で何か要支援、要医療になったときに伝えられるもの

そこから考えられることは、ミクロ/メゾ/マクロそれぞれの視点からたくさんある、と。

その一つとして、ご一緒に「小さくうまれてきた赤ちゃんへ  かわいい産着、洋服を贈りたい!」というプロジェクトに取り組んでいくことにしました。あまり大きく書いてはいませんが、実はこのプロジェクトは単に小さく産まれてきたこどもさんに産着を送るだけではなく、その贈りものの中から「つながりたいと思っていただける」取り組みを開発しようと考えています。いまの「めばえプロジェクト」は市のHPにも紹介されているように、「NPO法人芽ばえがつくった産着を差し上げます」という寄贈だけの活動になっています。そこから一歩進み、つながりたいと思っていただけるような取り組みにつなげていきたいと思っています。
ぜひ、そんな取り組みをご支援いただけるとうれしいです。




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