「伝燈」×古くて新しい

 年齢には特に関係なく自分の中の、ではなく、他になされていないこと、とりくまれていないこと、について、新しいことしたい!って思う気持ちはすごく大切だと思う。
 いまの社会の趨勢というか、背景も他にない新しいことをすることに価値が置かれるようになっている。以前からももちろん、古いものにとどまらず、新しいものを革新的に、という風潮はあったけれど、いまのように、半ば盲目的に新しいこと、革新、イノベーションってことばが踊っているような気はしなかった。
 どちらかといえば、古いこと=保守的であり、良さはあるけれどこのままじゃね。くらいだったように思う。1990年代の終わり、つまりはバブル経済が終わりグローバル経済が拡がり、政治的にも古いは悪で新しいのは良いという二項対立的な状況が社会一般にも浸透しているのだろうな。
 それから20年近くがたってきて、実はわかっている人にはわかっていることがあって、ブランディングとしての「新しい」ことと、実際に新しいことは違うってこと。
 そして、ずっと続いていることは古いわけではなくて、その中に常に新しいことが組み入れられてないと続かないってこと。
 ところがSNSやネットの情報などなどみていると、どうもそれをわかっているのは一部で、ファッショのように自分が目にしたことがないことをして「新しい」となっているような気がして仕方がない。それこそ、ファッションなんかは(まさにファッショ)それでいいんだけど、それ以外はなかなかそうはいかないわけで。。。
 特に、既存のものやことを知らないと新しいものは生まれないしわけで。ましてや知っていることの批判や否定でも新しいことは生まれない。
 「時間」的に「古い」と言われていること、つまりは過去から昔からあるものの中に、実はとても新しい知見があったりする。時を超えて、今現在のそのことを実現しようとしてみれば、いまの時代のいろいろなものと化学反応を起こして、新しいものを生み出したりすることも多かったりする。
 もちろん、たくさんのことを知り、情報をたくさんいれると実は、新たな行動を起こしにくくなるから、インプレッションで行動を起こすほうが新しいものを生み出しやすいという気持ちもよくわかる。そう、そんな熱い思いは応援したい。でも、知ることも大事。

伝統の本来の意味は『伝燈』です。『燈』は燈明の炎。受け継がれていく核の『燈』の部分は、固定されたものではありません。火を消さずに伝えるため、常に新しい油を注ぎ、燈芯を変えて『燈』を守ってきたのです。(千宗屋さん)
 
 そう、だから、40年以上続く「寝屋川市民たすけあいの会」のスローガンは、『古くて新しいソウゾウ(想像、創造)』。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?