同調圧力と「空気」による見えない支配

日本人は「意義のある他者」には同調するが、そうでない人にはときに冷淡であったり、敵対的であったりするのだということです。

いまさらに、中根千絵の「タテ社会の人間関係」を彷彿させるような下りだが、日本人は特別に他国人?と比べて「同調圧力」を受けやすい国民ではないという話。そして、この文章は著者の「空気」による支配という話に展開していきます。

そもそも同調圧力とはなんでしょうか。

どうちょう‐あつりょく〔ドウテウ‐〕【同調圧力】 の解説
集団において、少数意見を持つ人に対して、周囲の多くの人と同じように考え行動するよう、暗黙のうちに強制すること。

辞書をひくとこのように書かれています。ただ、これにはいろいろと諸説があるらしく、同調圧力という概念自体が研究対象になっているようです。つまり、きちっとした定義が定められているのではないようです。
 このようないわゆる社会行動心理的な話は、「受け手」と「発し手」のように語られることも多いですが、実は上で引用した記事の中でもふれられているように、法律などに明文化されていない(一定のルールがきちんと制度化されていない)「規則」がある/多くの人に認識されている、という状況を説明しているのだと思います。

 ただし、この議論は、法律に明文化されている/制度化されていることと、その法律や制度を守るかどうかは別の問題ですから、それこそ、説明することには有効ですが、社会の実情としてはもっと複雑ではないかと思っています。つまり、そのことを議論することに意味があるが、おそらく実態を明確には説明することはできないという話かと思っています。
 それよりも、なぜ、多くの日本人が、日本人は他国人より日本という国は同調圧力が強いと感じるか、で、あったり、「空気」による支配が行われていると感じていているのか、ということの方に課題があるように思います。つまり、そこには、なんらかの「制度化」され、私たちの環境の要因に強く作用しているエッセンスが存在していることを明らかにしてくれるからです。つまり、私たちが同調圧力を感じ、空気による支配を感じているのは、この社会の中で育ち生活している中で、そう思うような経験をし続けているからです。
 もっというならば、そのことを正面に問わずに、同調圧力や空気の支配という心理的なものを前面に語ることも、そういった同調圧力や空気の支配なのかもしれませんね。

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