SNS

 昨日のnoteでラジオの話を書いたからというわけでもないが、全く逆のコンテンツと言われるSNSについてちょっと書いてみたくなった。SNSについてはこれまでも何回かふれているけれど。今日は身体的離脱感から。

今日のきっかけはこの記事。SNS利用の年齢層やアクティブなどについて特にアメリカはいま大統領選があるから盛り上がっている感じ。
 周知のように、日本では東日本大震災の後から一気にSNSが広まってきたと言われていますが、まあ、いまやLINEをSNSとカテゴライズするのかどうかは難しいですが、少なくともTwitterとfacebookについてそういえるでしょう。そして私もその少し前からユーザーで、東日本大震災で一気にアクティブユーザーになりました。
 当初はコミュニケーションのためのコンテンツでしかない感じで、電話よりもスピード感があることがなにより震災のときの後方支援には役立った。ただ当時はあくまでも電話やメールの補助的な役割でしかなく新たなコンテンツの可能性を感じた程度でしかなかった。
 その後、特にFBについてはかなりのヘビーなユーザーになっていくわけですがFBは実名SNSですし、私自身がほとんど寝屋川市から出ず、また、寝屋川市内でのFBでの活動等はしていないので、それほどの拡がりを求めていくものでもありませんでした。
 一時期、同窓会のFBグループにお誘いがあり、加わっていたことがありましたが私には合いませんでした。そういった使い方をする人も多いようですが、大学時代はともかく、私にとっては10代の人間関係に立ち戻ることはあまり興味のあることではなく、そのコミュニティにはなじめなかった。
 そうそのころから、FBというか、自分の中でのSNSの使い方が明らかに変わってきます。ひと言で言えば、「リアルからの離脱感」ある種のバーチャル感を実感していくようになります。もちろん、実際にお会いしたかたも多いですし、リアルな自分の生活や思いを表現することにも活用はしています。
 が、あえて誤解を恐れずにいうと、そうではない世界へのコミットの楽しみを感じることが増えました。リアルな自分との乖離という意味ではなく、いま盛んに言われているDXの中の、特に時間×距離のリアルさの崩壊を楽しむという感じでしょうか。
 大阪にいる自分が、時間×距離を超えて、接することのできる「他人」の生活 そうその生活世界へのコミット、その感覚。私にとってのSNSは、「発信」とともに、リアルからの離脱感=時間×距離を飛び越えられる感覚へのコミット。
 そして、同時に特に後者については、大きな「麻薬性」をもっていることも自覚している。見せつけられているSNS世界の仮想社会はとくにリアル社会からの逃避にもなってしまう。そんなSNSに今日も溺れている。

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