チャレンジ(挑戦)

 あなたは何か新しいことにチャレンジ(挑戦)することを積極的にされる人だろうか?人にとっては新しくなくても自分にとって新しいことに挑戦するときにはいろいろな感情がわき上がってくるものだ。中には、人や周りや社会をみて、新しいことを見極めて挑戦する人もおられるだろう。挑戦はさまざまだ。
 そのときそのときの時代というか、社会の風潮によって挑戦することが「正」とみられるか、「負」とみられるのか、も変わっている。挑戦することが「評価」/挑戦が「評価」 そもそもされないこともあり得るわけだ。いまは、挑戦/挑戦することが日本では「『評価』される時代」であることをどこか忘れがちになっている気もする。つまりは、新しいことをやればなんとなく挑戦している感がでてくる時代でもある。

 私たちのような福祉や介護などの世界での挑戦は、一般の社会や商品の開発をしている世界の挑戦とは少し違っている気がする。もちろん、共通する部分もあるが。
 なにが違うか?端的にいえば、挑戦の結果を評価することではなく、一緒に挑戦できる(た)ことを評価する(プロセスの評価)。
 私たちは、
 何か新しいことをメンバー(ご本人)さんと「挑戦」するとき。
一緒に「挑戦」できたことを評価する。
ところが多くの人は、すぐに「挑戦」した結果を評価しようとする。そうすると評価の軸は「できた」「できなかった」になってしまう。誰にとって「できたか」「できなかったか」になるかを考えると。。。支援者の側の評価でしかない。「結果の評価」はあなたがご本人をコントロールしていることにつながってしまう。専門的には、もっと細かいいろいろなやりとりの評価軸やポイントを設定していくことになるのだが、その前段の基本的な評価スケールがかわってしまうと、「挑戦のコントロール」が起こってしまう。だれにとって、何のための評価かがわからなくなってしまう。
 そして、挑戦しているフリができるようになってしまう。そうなると最悪だ。そしてそんなことが蔓延している。そうなったら別に挑戦してなくてもいい。自分の中の新しいことを挑みをあえて挑戦と位置づける必要がどこまであるのだろう。自分のモチベーションを上げていくことを否定はしないが、外との交流でのモチベーションの向上維持はときにストレスを強くかける。それもしんどいし、そのフリをするために、人などを使うのもどうかと思うが。真摯に向き合いながら、ゆっくりとともに挑戦していきたいものである。

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