ディズニーアニメで学んだ、相手によって変わってしまう心の在りよう

子供と一緒にDisny +のミニーのリボンショーというアニメを見ていていろいろと学ぶところというか気付きがあったのでエントリーを。

ミニーのリボンショーはディズニーキャラクターの女の子キャラ達が登場人物です。
ミニーとデイジーがレギュラーです。
ミニーが経営するリボン屋さんの運営から始まるドタバタ劇なんですけど、最初に関心したのはストーリーの骨子はキャラを対になる男の子キャラに置き換えても成立する感じになっていて、物語の舞台もリボン屋ではなく、自動車整備工場なんかに置き換えれば完璧な感じの作りになっています。

つまり、ミニーをミッキーに、デイジーをドナルドに置き換えて話の舞台を男の子が興味のありそうな職業に変更するだけで全体的にかなり成立する感じになっている。キャラクターやキャラクターの性別依存のエピソードが少ないということにもなるのかなと。(ちょっとはありますけどね)

これはコンテンツの届け先にあわせて簡単に切り替えられる作りになっているということと捉え、ほえーとか思ったりしていました。

平日の夜なんかはテレビも占有されているので、一緒に視聴しながら夕食をとったりしていて、
まじめに見始めるとデイジーのいらつき度合いが気になり始めました。非常にドジで、まかせておいて!というものの、状況をかき乱していてイライラする。これはまるで、「あなたは何もしなくてもいいから、黙って座っていて!」と言いたくなるような何かである。

が、男の子キャラクターが主人公のショートムービーは自分が小さいときもたくさん見てきて、このポジションのキャラにいら立ちは感じたりしていなかった。
どうやらディズニーはアヒルキャラにはドジキャラをアサインしたいらしく、ドナルドもデイジーもその役割を存分に果たしている…
だけど、ドナルドにはイラつかず、デイジーには不快感が…

これは性別に対して私の無意識の何かがあるのか?とか思ったり…
つまりは男性がやっても笑ってやり過ごせるが、女性がやると不快感を示すということなのか?と思ったり。
別の観点で、ドナルドとデイジーでは私との関係値、思い出の共有度合いが違うからなのか?と思ったり。

一点演出の違いの影響も気になるところです。
私も小さいころ一桁代の年齢のころ、恵まれたことにディズニーのショートアニメをたくさん見れる環境にありましたが、ドナルドは流ちょうな言語を発せず、5割くらいわかる言葉を発していたような気がします。
ですがミニーのリボンショーのデイジーは流ちょうな言葉を話します。ダミ声の擬音はまったく発しません。

ちょっとコミュニケーションが難しい人物の一生懸命さからくるおっちょこちょいエピソードは許容できるが、コミュニケーションが取れそうな相手のおっちょこちょいは回数が過ぎるとイラっとする。これも個人的に思い当たるところもあり…

学校で、ちょっとアホな後輩の方を可愛がったりしてしまうことや、
会社で口が達者で頭もいいが同じミスを何度も繰り返す人物に対してイラっとしてしまい、ミスしないようにと本人の最大限の努力の結果のミスについてはつい許容しがちになったり…
出来るだけそういう対応はなくしたいなと思いつつ、意識しないとそうなってしまうのは私も人間だからでしょう。

最後にデイジーの日本語の声優の人の演技がどうにもねちっこいというかつやっぽく、単にそういうのが苦手という可能性も大いにあることでエントリーを〆たいと思います。

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